優秀賞
「「いつか、わたしも」」
西田 江里菜(9)岐阜県
わたしは、生まれてからずっと、病院のお世話になることばかりです。生まれつき、体の筋肉を上手に動かすことができません。だから、運動は苦手です。生活の中での困り感を少しでも軽くするため、月に数回、病院のリハビリに通っています。
わたしがお世話になっている病院には、足の不自由な理学りょう法士さんがいます。その人の足がどうして不自由なのか、どうして理学りょう法士になったのか、わたしは聞きたいことがたくさんあるけれど、その人とはいつもあいさつを交わすだけです。
海外では、身体に障害があっても、医りょう従事者として働いている人がたくさんいます。日本でも、生まれつき耳の不自由な人がお医者さんとして働いていることを、みなさんは知っていますか? わたしは、その人のことを、テレビのニュースで知りました。他のお医者さんや、かんご師さんの助けも借りながら、患者さんのためにけん命にお仕事をされている姿は、とてもすてきでした。そして何より、一緒に働く周りの人たちのやさしさに、わたしは感動しました。
わたしも、いずれは医学の道へ進みたいと思っています。でもわたしには、人より不自由なところがあります。自身に障害があることで、わたしは周りの人から支えてもらうことはあっても、自分がだれかを支える側になることはないと、ずっとそう思っていました。心の中に抱いているゆめもかなうことはないと、半ばあきらめていました。でも、たとえ身体に障害があっても、病気で苦しんでいる人の力になろうとがんばっている人がいることを知り、わたしは自分のゆめをかなえたいと強く思うようになりました。
生きていると、体が元気なときばかりではないし、気持ちが弱ることもあります。病院で働く人たちは、そんなつらいとき、寄りそい支えてくれる、頼もしい存在です。
わたしが、リハビリをさぼることなく続けられるのも、病院の先生たちのはげましがあるからです。その支えがなければ、わたしも母も、ここまでがんばることはできなかったでしょう。わたしの障害は、外からは分かりにくいので、周囲の人に理解してもらうことは、なかなかむずかしいです。それだけに、母はわたしを産んでから、子育てに悩むことも多かったそうです。病院の人たちは、そんな母の力にもなってくれています。
わたしたち家族に、病気と向き合う勇気をくれて、わたしのゆめを応えんしてくれて、本当にありがとうございます。
いつか、わたしも、医りょうスタッフとして、みなさんの力になれるようがんばります。その日まで、待っていて下さい。