文部科学大臣賞
「せんしこうたい」
五月女 結音(7)東京都
「こんにちは、はじめまして。」
これまでに、なん回「はじめまして」のあいさつをされただろう。
会いに行くたび、「はじめまして」。あいさつの後、おかあさんが、「ひまごのゆのちゃんだよ。」と、大きな声でわたしのせつめいをする。「あらあ、かわいいわね。」と、やさしいえがおで、なでてくれる。
数年前は、わたしのことも、おかあさんのこともちゃんと分かっていた。会えばやさしいえがおで声をかけてくれて、いろいろな話をしてくれた。今は、ひいおばあちゃんの子どもでもあるわたしのおじいちゃんのこともたぶん分からない。
ひいおばあちゃんがくらしていたへやには、たくさんのメモがかくされている。本やようふくの間、しょっきだなのコップの中。生かつの中でメモを見つけて思い出せるようにしまっていたのだろう。かぞくの名前やじゅうしょ、かぞくのすきなたべものなど、わすれたくないじょうほうが書いてある。ひいおばあちゃんが、びょうきとたたかっていたあとなのだ。
ひいおばあちゃんには、今、どれだけの思い出がのこっているのだろう。自分がだれだか分かっているのかな?
ひいおばあちゃんを思うと、とてもさびしくて、会いたくて、ないてしまう。
ひいおばあちゃんは、今、自分を知っている人が会いにきても、自分が知っている人には、会うことができない。会う人は、いつも「はじめまして」の人。数分前に会った人でも、いつもおせ話をしてくれるスタッフさんでさえもはじめまして。ろう人ホームへ会いに行っても、ぼうっとどこかを見ている。なんだかさびしそうな、ふあんそうなかお。びょうきとたたかうこともわすれてしまったのかもしれない。
それでも、おかあさんがわたしのせつめいをすると、えがおを見せてくれる。トンチンカンだけど話しもしてくれる。すこしの時間だけど、ひいおばあちゃんの心の中にもどれる気がする。
あとなん回「はじめまして」のあいさつをしてくれる?
これからは、わたしがひいおばあちゃんのかわりにたたかうよ。
ひいおばあちゃんがわすれたくなかった思い出を、大せつな人たちのことをおしえてあげる。
「ひいおばあちゃんのひまごのゆのだよ。」と、なん回でもあいさつするからね。