生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第4回エッセー部門

第4回入賞作品 − 中高生の部 
優秀賞

「祖母と木蓮」

早川 陽花(14)宮城県

「認知症の人はなりたくてなっているわけではないのです。だから心はなくなっていないのです。」

 学校の認知症サポーター講座で聞いた言葉です。

 私の祖母は認知症です。以前からそのことは父から聞いていましたが、それからすぐに会ったとき、祖母は何も変わっていないように見えました。だから、この言葉を聞いたときは、ふーん、そうなんだと軽く聞き流していました。そして友達に、祖母が認知症であることを、祖母の気持ちなど考えずに口にしていました。

 しばらくして、祖父が「遊びに来て。」と私が電話をするたびに言うようになりました。私は祖父のことが少し苦手だったのと、習い事が忙しかったため、妹たちのように会いに行くことができませんでした。

 やっと行けたある日。私は、久しぶりに会った祖母を見て息をのみました。祖母が、私の記憶よりずっと小さくなっていたのです。私より少し背の高かった祖母は、腰が曲がり、小学1年生の妹と同じ目線になっていたのです。私は祖母が全く知らない別人になっているのではないかと不安になりました。

 しばらくして、コロナウイルスの影響で学校が休校になり、私たちは祖母の家で週の大半を過ごすことになりました。

 祖母は、私が祖母の妹や父の従妹に似ているからか、私の名前を間違えるようになりました。そして、私の名前を呼べなくなりました。私は忘れられたのかもしれない、そう思うと祖母がなんだか遠いように感じられました。

 また、祖母は認知症と共にパーキンソン病も発症したので、指先がふるえるようになりました。そこで、私は食器洗いや晩ごはんを作るなどの家事を始めました。しかし、私が家事をやっていると、祖母はやることがなくなってしまうのです。祖母は、
「なにもやっていないのにここにいるわけにはいかない。帰らなきゃ。」
と言うようになりました。私はみんなが楽になるだろうと思ってしたことが、逆に、祖母を苦しめているような気がしました。

 どうしたらいいのかわからないまま過ごしていたある日、祖父の配達の仕事に、祖母と私もついていくことになりました。車の中で、私は祖母と話す内容が見つからず、
「あ、八重桜だ。満開だね。」
「菜の花がたくさん咲いてる。きれいだね。」と花のことばかり話しました。

 そして、配達のお客さんの家に到着。見ると、その家の庭の木には大きな白と紫の花が咲いていました。祖父は車を降りて、お客さんと話をしています。その時、隣に座っていた祖母が私に、
「あの花は何だろう。」
と聞いてきたのです。心の中でとても驚きました。祖母から話しかけてくれたのです。とてもうれしかったです。木蓮もくれんの花でした。

 また、祖父がアイスクリームを買ってきてくれた時のことです。祖母と妹たちと一緒に食べました。その時、祖母は、
「こんなおいしいものを食べさせてもらって幸せだね。」
としみじみ言いました。祖母が幸せな気持ちになっている。静かで小さなことかもしれないけれど、こういう幸せもおだやかでいいのかもしれないと思いました。意外にも、祖母がアイスクリームが好きなことも知りました。

 今まで気が付かなかったけれど、祖母も自分と同じ気持ちになっているときがあるのではないか、今までと変わっていない部分があるのではないか、そう思うようになりました。注意して見ていると、孫の私たちに椅子に座った方がよいと言ってくれること、食べ物を私たちに多くわけてくれていることに気が付きました。それは私が小さいときからずっと変わらない、祖母の優しさでした。また、私たちが、おいしいねと言うと、祖母も穏やかに、そうだねと言ってくれます。それから私は、「おいしい」「楽しい」「可愛かわいい」「ありがとう」の言葉をたくさん言うようにしました。すると、祖母もおいしいものを、おいしいねと言うようになったのです。

 大切なのは、相手をよく見ることです。相手は何を喜ぶのかを知り、理解し、自分にできることを探す。そうすることで相手のためのことができるようになるのだと思います。そうすれば、相手も、自分も、幸せになれるのではないでしょうか。

 本当は、祖母に忘れられたくない、私をずっと覚えていてほしい。でも、私が変わるように、祖母も変わります。もし、祖母が私のことを忘れてしまっても、「家族」でありたいです。木蓮を見て喜ぶ祖母のかたわらにずっと寄り添っていたいです。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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