生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第4回エッセー部門

第4回入賞作品 − 一般の部 
日本医師会賞

「もう、逃げない」

案浦 加奈子(29)栃木県

 忘れられない患者がいる。研修医一年目、肺がんの患者で、抗癌剤治療中の男性患者だった。

 幾度となく抗癌剤治療を経験していたが、効果はかんばしくなかった。厳しい闘いになると主治医は言った。

 私は彼が怖かった。医者として働きだして、まだ右も左もわからず、患者との接し方にも慣れていなかった。おどおどした態度が相手にも伝わってしまったのか、点滴の針刺しが下手へただと怒鳴どなられたり、説明が下手だとなじられたりもした。この患者とはうまくいかないと思った。

 けれどそれでも、おびえながらも毎日診察で部屋を訪れる私に、彼は少しずつ自分のことを話してくれるようになった。雪深い青森で育ったこと、上京して仕事を頑張っていたこと、奥様と出会って、結婚して、愛する子供や孫に恵まれた事。最初の印象とは違って、柔らかな表情で話す彼を見て、怖い態度は本来の彼ではなかったのかもしれないと思った。

 そのうち、私は業務の合間を見つけては、彼の病室で他愛もない話をするようになった。私は私で、上司に仕事で叱られた時など、社会人の先輩として、彼からアドバイスをもらうこともあった。私が彼に心を開いていくにつれて、少しずつ、彼は笑うようになっていった。ご家族が面会に来られている時は、特に幸せそうな表情を見せた。

 笑うようになった彼を、私はもう怖いとは思わなくなった。つらい治療ではあるけれど、彼がずっとこうして穏やかな表情でいられたらいいのにと思った。

 そんなある日、彼が倒れた。緊急でMRIが撮影された。MRI室へ移動する間、「また悪くなったのかなあ。」と悲しそうにつぶやく彼に、私は不安な顔で付き添った。

 脳に転移が見つかった。これから先、望みをかけて新たな治療薬をトライするか、これ以上の治療を諦めて緩和治療に移行するかどうか、退院後に決めてほしいと主治医は言った。

 いずれにしても、予後はかなり不良であり、よく考えて決断してほしいと言った。

 奥様は泣いていた。けれど、彼は決して泣かなかった。力なく笑って、「まあ仕方ねぇよなあ。」と呟いた。奥様の泣き声だけが部屋に響き渡っていた。

 冷静に見えた彼だったけれど、退院までの間、明らかに彼の様子は変化していった。明らかに苛立いらだっていた。以前のように大きな声を上げることも多くなった。私は少しずつ、そんな彼をまた避けるようになってしまった。診察が終わると、そそくさと部屋を出た。

 そうしているうちに、とうとう彼にも、「最近、避けてるだろ。」と言われてしまった。

 見抜かれていた。それでも、彼の真っ直ぐなかなしみや苛立ちと向き合う事が怖かった。何を言っても彼の救いにはなれないと思った。

 退院して2日後、彼は亡くなった。彼が救急外来に運ばれたと聞いて主治医とともに駆け付けたが、その時にはもう息を引き取っていた。表情は穏やかだったが、家に帰って病院で亡くなるまでの間、彼が何を思っていたのかは、その表情からは読み取ることはできなかった。ただただ涙をこらえる事に必死だった。ただただ悲しかった。

 そうして彼が亡くなったその日、夢に彼が現れた。生前のように車いすに乗って、遠くをぼんやりと見つめてこう言うのだ。
「俺、いつになったら退院できるのかなあ。」

 起きて、涙があふれてきた。向き合うべきだった。何も出来ずに死にゆく彼の不安や恐怖と真正面から向き合うべきだったのだ。

 私は逃げた。あれほどつらい気持ちをぶつけてくれていたのに。あれほど辛いと叫んでいたのに。

 だけどもう彼とは話せない。哀しみも怒りも、もう2度と聞く事はできないのだ。

 あれから2年が経った。今日も外来には沢山たくさんの患者がやってくる。時に怒りや不満をぶつけられることもある。

 でももう逃げない。あの時のようには。

 怒りや不満の中に、彼らの本当の想いがあるはずだから。

 何も出来なくても、何も解決できなくても、彼らの気持ちに向き合うことが必要だと思うから。

 だから、今日も向き合おう。

 そうしていつか、本当の意味で、医師として、彼らの心に寄り添うことができるようになりたい。

 そう、思うのだ。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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