日本医師会賞
「もう、逃げない」
案浦 加奈子(29)栃木県
忘れられない患者がいる。研修医一年目、肺
幾度となく抗癌剤治療を経験していたが、効果は
私は彼が怖かった。医者として働きだして、まだ右も左もわからず、患者との接し方にも慣れていなかった。おどおどした態度が相手にも伝わってしまったのか、点滴の針刺しが
けれどそれでも、
そのうち、私は業務の合間を見つけては、彼の病室で他愛もない話をするようになった。私は私で、上司に仕事で叱られた時など、社会人の先輩として、彼からアドバイスをもらうこともあった。私が彼に心を開いていくにつれて、少しずつ、彼は笑うようになっていった。ご家族が面会に来られている時は、特に幸せそうな表情を見せた。
笑うようになった彼を、私はもう怖いとは思わなくなった。
そんなある日、彼が倒れた。緊急でMRIが撮影された。MRI室へ移動する間、「また悪くなったのかなあ。」と悲しそうに
脳に転移が見つかった。これから先、望みをかけて新たな治療薬をトライするか、これ以上の治療を諦めて緩和治療に移行するかどうか、退院後に決めてほしいと主治医は言った。
いずれにしても、予後はかなり不良であり、よく考えて決断してほしいと言った。
奥様は泣いていた。けれど、彼は決して泣かなかった。力なく笑って、「まあ仕方ねぇよなあ。」と呟いた。奥様の泣き声だけが部屋に響き渡っていた。
冷静に見えた彼だったけれど、退院までの間、明らかに彼の様子は変化していった。明らかに
そうしているうちに、とうとう彼にも、「最近、避けてるだろ。」と言われてしまった。
見抜かれていた。それでも、彼の真っ直ぐな
退院して2日後、彼は亡くなった。彼が救急外来に運ばれたと聞いて主治医とともに駆け付けたが、その時にはもう息を引き取っていた。表情は穏やかだったが、家に帰って病院で亡くなるまでの間、彼が何を思っていたのかは、その表情からは読み取ることはできなかった。ただただ涙を
そうして彼が亡くなったその日、夢に彼が現れた。生前のように車いすに乗って、遠くをぼんやりと見つめてこう言うのだ。
「俺、いつになったら退院できるのかなあ。」
起きて、涙が
私は逃げた。あれほど
だけどもう彼とは話せない。哀しみも怒りも、もう2度と聞く事はできないのだ。
あれから2年が経った。今日も外来には
でももう逃げない。あの時のようには。
怒りや不満の中に、彼らの本当の想いがあるはずだから。
何も出来なくても、何も解決できなくても、彼らの気持ちに向き合うことが必要だと思うから。
だから、今日も向き合おう。
そうしていつか、本当の意味で、医師として、彼らの心に寄り添うことができるようになりたい。
そう、思うのだ。