生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第4回エッセー部門

第4回入賞作品 − 一般の部 
入選

「小さくなった父がくれたもの」

行重 茜(20)兵庫県

 私が幼い頃、父は二つ上の姉と私を、よく公園やプールに連れて行って遊んでくれた。家族4人での海外旅行は、必ず南の島だった。父は体を動かすのが大好きで、酷暑の中でもランニングをしたり、筋トレも毎日欠かさずやっていた。学生時代はサッカーをしていたらしい。強くてがっしりしていて頼りがいのある体型で、一緒にいると安心感があり、いつも体を張って遊んでくれた。そんな父が私は大好きで、当たり前に送っている日常を昔から幸せだと感じていた。

 しかし今から2年前、それは私の知らぬ間に訪れていた。父は自分の脚に違和感を覚え始めていた。徐々に自分の思うように脚が動かせなくなっていき、自転車に乗れなくなり、普通に歩いていて転ぶ回数が増え、やがてつえを使ってゆっくり歩くことしか出来なくなった。1年前、大学病院で様々な検査をして神経の病気だということは分かったが、はっきりとした病名は分からなかった。当初脚にだけ出ていた症状は、手や腕にもみられるようになり、ゆっくりと病状は悪化し続けていた。かつて筋肉で太くてたくましかった腕や脚は今では劇的に細くなり、骨の形が見えるほどになった。

 徐々に徐々に一人で出来ることが減っていく父にとって、自分の部屋から食卓までの移動、一人での入浴など一つ一つの生活を送ることが全身の負担になり、夜になれば身体は疲労困憊こんぱいだ。だが、身体に負担を感じるのは父だけではない。介護が生活において欠かせなくなってきたため、移動する時は母の肩を借り、喉が渇くと母が水を運び、椅子から立ち上がる時、ベッドから起き上がる時は両脇を母と私が支えて起こす毎日になった。母は自分が家事をしていても、食事をしていても、一日の中にある貴重な休憩時間であっても、父の様子を気にかけ、助ける。そんな母を見て私は、自分も父の為に介護をし、家事の出来ることは進んで行うようになった。それでも母は、「勉強していいよ。」「私がやるよ。」と気遣ってくれ、少しでも手伝った時には必ず「ありがとう。」という言葉をくれる。決してつらさを見せない、そんな母だがやはり疲労は蓄積されており、6月には家事が出来なくなる程の腰痛に苦しんだ。

 そんな中、7月にようやく要介護認定が下り、8月から介護ベッド、歩行器、車椅子などが借りられるようになった。介護ベッドがあれば父は朝一人で起き上がって立ち上がることが出来る。家の中では歩行器を使って一人で歩けるようになり、外では車椅子で安全に移動出来るようになった。母の身体への負担はほとんど無くなり、腰痛の悩みも訴えなくなった。

「介護」という言葉を聞くと少し前まではネガティブな感じがしていたが、実際に自分で体験してみると決してネガティブなことばかりではないことが分かった。以前の父は仕事が大変忙しく、いつも23時頃帰宅していたのだが、介護生活に入り仕事がリモートワークになった。食事の時間も違い、私が寝た頃にやっと帰ってくる日々だったが、今では家にいて「いってらっしゃい。」「おかえり。」と言ってくれる。そんな今の生活が、私にとってはなによりも幸せでたまらない。昔幸せだと感じていた日常とはまるで違うけど、苦労も多いけど、この生活になってから見えてきた幸せは、一生私の宝物として残る。

 病気で辛い中、今でも私たち家族の為に在宅勤務で仕事を頑張ってくれている父、不満も辛さも見せず毎日介護をし、姉と私にはやりたいことをやらせてくれる母。私は父の病気を通じて介護生活を肌で感じることで、日常への感謝があふれてくるようになった。まだ49歳と介護を受けるには早すぎる年齢だが、一日一日奮闘しながら生きている父の姿は、私にそっと生命の重みを教えてくれる。家族4人で海外旅行なんて今となっては幻だし、ましてや出掛けることすら出来ないけど、それでも4人で小さな幸せをみしめてこれからも楽しく過ごしたいと思う。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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