生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第4回エッセー部門

第4回入賞作品 − 中高生の部 
優秀賞

「今年最初の夏祭り」

笹田 亜璃沙(14)東京都

 特別短かった今年の夏休み。そんな貴重な時期の3日間を、また病院で過ごした。定期的に行っている外科処置のためだ。

 絶食明けの空腹と麻酔の名残で、術後は気持ちが悪いし、傷も痛むので、何度やってもぜんぜん慣れない。

 14歳になった今年、小児科に入院すると、周りはかなり小さい子ども達ばかりで、話す相手もいなかった。160センチメートルを超えた私には、少し小ぶりなベッドや、パステル調のゾウやキリン柄の壁紙は、アンマッチだ。自分自身は何も変わらないのに、まるでガリバーやふしぎの国のアリスのように、急に大きくなってしまった気がして、なんだか変な気持ちになる。

 特に今回の入院は、コロナの影響で付き添いやお見舞いが制限され、人の出入りが厳重に管理されていた。フロア自体が静まり返り、一番遠くの部屋の誰かの泣き声が聞こえてしまうくらいだった。いつもと違う雰囲気に、みんながみんな、それぞれの透明なまゆにじっとこもり、何かにおびえているようだった。痛みの中での検査や採血は、ひどく緊張度が高く、私は何かに対して不貞腐ふてくされて、病室のカーテンを閉めて、音楽を聴きながら、寝てばかりいた。長く続く自粛生活で、人と距離を取ることに悪い意味で慣れてしまったようだ。治療して下さる先生や看護師さん、薬剤師さんにも、マスク越しに「はい。」か「大丈夫です。」しか言わなかったと思う。

 退院の日、長らく延期になっていたらしい納涼祭がプレイルームで行われることになった。密にならないように、2人ひと組で入室して遊ぶという。朝食時に看護師さんから誘われたが、私には合わないと思ったので「もうすぐ母が迎えに来るし、小さい子から先にどうぞ。」と、断った。そんな私に、看護師さんは気を悪くするわけでもなく、「今、女の子が少なくて、小学生の子が1人ぼっちになっちゃうから、動けるようなら付き添いとして一緒に参加してくれないかな?」と、上手く参加を促してくれた。スポーツを続けている私は、下の学年の練習の面倒を見ることもあり、子どもは苦手ではないので、忙しいであろう看護師さんに代わって協力することにした。

 一緒に納涼祭に参加した女の子は、私の半分くらいの華奢きゃしゃな体つきだった。そして、とても器用で、とても素敵な笑顔の持ち主だった。

 スタッフ総出で作ったという、薬の空箱をうまく使った手作りの射的は、少し子どもには難易度が高すぎだったが、手書きのイラストが描かれたお面は、かなりの力作で、ちょっと感動した。傷が痛いのに、思わず本気でヨーヨー釣りもしてしまった。一緒に楽しい時間を過ごすことで、初対面だった2人は、いつしか仲良くなっていた。

 そこで、ふと私は気が付いた。
「あっ。これ、今年最初で、最後の夏祭りだ。」

 イベントに参加したことで、かなりリラックスしたが、自分でも気が付かないうちに、コロナによって、これまで通りには行かないことに対しての苛立いらだちが募っていて、予想以上に、今回の入院に緊張していたのだ。

 病院でのささやかな納涼祭は、今年の大切な思い出になった。

 入院は、子どもにとって、当たり前だと思っていた日常の一部を失う。痛い治療や苦い薬だけでなく、遊びにも行けないどころか動けないし、親や兄弟にも会えないし、ひとりだけ家族から離される。好きなものも食べられない。制限ばかりだ。

 その気持ちが分かっているから、この時期、病院でのイベントは全部中止してしまうという選択肢もあった中、それでもあきらめずに忙しい仕事の合間を縫って準備し、どうすれば出来るのか、出来ることを出来る限り考えてくれたのだと気が付いた。

 改めて、病院の皆さんに対し、尊敬の念を感じ、とても有難いと思った。世界は沢山たくさんの優しさで出来ている気分になった。

 夏休みは短くなり、イベントは無くなり、課題は多く、授業は駆け足で、受け入れがたい夏になった。

 それでも、人々の生活を守るために働いて下さる方々がいるのだ。

 本当に、1日も早くコロナが収束しますように。

 そして、どうか、入院していたみんなが、無事に大きくなりますように。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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