生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第3回エッセー部門

第3回入賞作品 − 小学生の部 
文部科学大臣賞

「生まれてきてよかった」

薛 知明(12)愛知県

 小学1年の道徳の教科書に、「今までで一番うれしかったこと」を書くらんがありました。そこに「生まれてきたことです」と書いたこと、それを見た母がなぜか泣いたことを覚えています。

 うちは、家族全員が障がいを持っています。

 わたしが2歳のとき、大学病院の先生から、「この子は人と物の区別がついていません」と言われたそうです。発達障がいの勉強を始めた母が、自分もその特ちょうに当てはまることに気づき、話が通じないのは国際結婚だからだと思っていた父も、タイプは真逆ですが同じ障がいと診断されました。

 わたしは「昔だったら診断がつかなかった子」だと主治医の先生から言われましたが、母がまさにそれでした。障がいだとわからなかったので、学校でも家でもぶたれ、どなられ、笑われることが当たり前の毎日で、友達は虫だけ。中学で学年1位の成績をとってもほめてもらえず、高校で学年最下位になり2年生をもう一度やることになったときはショックでかん黙になり、自殺も考えたそうです。ひきこもりになった母は、ぐう然見た香港映画で生きる希望を持ち、香港研究のために大学院に入ったからこそ、香港人の父と出会うことができました。その父も、「日本に来てよかったと思うことは」と聞いてみたら、わたしが生まれたことだと言ってくれました。うれしかったです。

 母の頭の中ではいつも、幼いころから今までに体験したつらい、苦しいと感じたときの場面が自動再生されているそうです。その話を聞いたとき、わたしは、タイムマシンがほしいと本気で思いました。透明な体で子ども時代の母のところに行き、その頭の上に乗っかって、母がぶたれても痛くないようにしてあげたいと思いました。わたしも同じ障がいで一度見たことが写真のように記憶されていますが、フラッシュバックは全くありません。「お母さんが、自分のようにならないようにと、家や学校で自分がされたこととは真逆のことをすると決め、色々と調べたり、考えたりしてくれるからだよ」とりょう育の先生から言われました。また、

 「親に愛されたという土台がしっかりできている子は、フラッシュバックを起こしにくい」と言われたときも母は泣いていました。

 私たち障がいを抱える人が、生まれてきてよかったといえるのに必要なものは、趣味などの楽しみと障がいを理解して助けてくれる人たちです。わたしは、母から昆虫飼育という趣味を教えてもらいましたが、プログラミングなど自分で見つけた楽しみもあります。また、家族それぞれの主治医の先生、学校やりょう育の先生方など助けてくれる人も大勢います。

 家族全員、パニックを起こして大変なこともありますが、この先も新しい趣味や助けてくれる人たちとの出会いを楽しみに生きていこうと思います。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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