生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第3回エッセー部門

第3回入賞作品 − 一般の部 
厚生労働大臣賞

「自然のなかのいのち」

矢野 富久味(68)高知県

 両親が結婚して、15年目に生まれた私。さらに7年後に、妹が生まれた。

 それぞれ結婚し、仕事と新しい家庭を持ったが、両親を介護することになって再び絆が固くなった気がする。

 父も母も「住み慣れた自宅で最期まで過ごしたい」と強く希望したので、16年間在宅で介護した。

 ともに「要介護5」。「24時間在宅介護」を支えてくれたのは、自営業の夫、嫁ぎ先から毎日通って来てくれた妹、週3回の訪問看護師さん、そして「在宅医療」を引き受けてくださったお医者さま。

 多発性脳梗塞に倒れ、寝たきりになった母を往診してくださったのは、O先生だった。

 病院は隣のS市にあるのだが、朝開院前にうちに来て点滴をし、病院の外来診察が終わるとまた往診に来てくださった。

 いつもニコニコと穏やかな口調で、食べることも言葉を発することもできない母に、優しく話しかけてくださった。

 言葉は返せなくても、母がO先生を心から信頼していることは、うれしそうなにっこりで如実に伝わる。

 先生と母には共通の話題(?)があって、山田洋次監督の「寅さん」の大ファンなのだ。

 ベッドで寝たきりの日々になってからも、母は「寅さん」のビデオを楽しそうに何度も飽きずに観ていた。

 その様子を、山田洋次監督に感謝を込めてお手紙を差し上げたら、思いがけず丁寧なハガキのお返事をいただいた。監督も、お母さまの介護体験がおありだったのだ!

 先生も一緒になって喜んでくださって、ひとしきり寅さんで盛り上がった。先生は、好きな女性ひとができたら必ず「寅さんの映画を観に行こう」と誘ったそうだが、どの女性ひとにもけげんな顔をされてしまったと笑う。介護の大変さを、笑いで和ませてくださったのだ。

 父も母も、「在宅医療」をしてくださる先生に恵まれて、希望通り住み慣れた家で家族に囲まれて「在宅死」を迎えることができた。

 母は1月4日の六花舞う日。父は、9月18日のコスモスが咲き乱れる季節だった。

 ほんとうに不思議なのだが、妹の一家が到着するのを待っていたかのように、ベッドの周りをみんなでぐるりと取り囲む中で、静かにやすらかに二つ大きな息をして旅立った。

 抱いてマウスツーマウスをしてくれた夫は、その瞬間がはっきりと分かったそうだ。

 病から解き放たれた母の顔は、長年寝付いていた人とは思えないほど、どんどん美しくなっていった。

 お別れに来てくれた人たちがみんな、口をそろえて「神様みたいな人やったけん、亡くなってほんとうに神様になったね」と、きれいな死に顔を誉めてくださった。

 母の旅立ちから10年後、父が99歳で旅立った。先生が「自然死」と書いてくださったのが、鮮やかに心に残った。

 「老衰」が正式な死因なのかもしれないが、「自然死」のほうが父にはぴったりだと思えて、先生にしみじみ感謝した。

 先生がよくおっしゃったのは、「みんなで看られてよかったと思えるような、いい仕舞いに」という言葉だった。

 いのちには必ず最期がある。誰の人生にも、例外なくその時がやって来る。

 住み慣れた家で、毎日寝ていたベッドで、家族や親戚やペットたちに囲まれて、自然に眠りにつきたいと、両親は望んだ通りに逝った。いい仕舞いができた。

 頭ではそう解っていても、毎日いのちと向き合って少しでも長く生きてほしいと祈る思いで介護してきたので、「はたして設備の整っていない在宅介護でよかったのか? 病院ならもっと生きられたのではないか?」と、つい自責の念に見舞われる。

 先生に思わずポロリと口にすると、「いいお顔なのは、ご家族みんなで最期を看取られたからですよ。余計なことをしなかったので、顔が腫れていません。人のいのちも、自然のなかのものですから」、いつもの穏やかな優しい声でおっしゃった。

 ああ、先生が「自然死」と書いてくださったのは、そういうことだったのか。

 90歳近くまで現役の百姓一筋に生きて、毎日お天道様のもとで田畑にいた父は、まるで草木が枯れるように、最期の時を静かに迎えたのだ。

 死は、人間の最後の営み。そこに至る日々は、本人も家族もさまざまな選択肢のなかで、迷い、悩み、葛藤し、決断する。マニュアルは無い。

 父も母も、望み通り自宅で葬儀を執り行った。親戚や地域の方々がお別れに来てくださって、出棺の時に門前で私がマイクを握った。

 見上げると、青い空となだらかな野山が、いつもと変わらず見守ってくれていた。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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