生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第3回エッセー部門

第3回入賞作品 − 一般の部 
入選

「一人の一途な若者の生涯」

宮寺 良平(63)兵庫県

 ある若者の葬儀の弔辞を読んだ。「君は苦しさに慣れてしまったと言っていたけど、ここ数年は激しい頭痛、息をすることも苦しく、眠りのなかでさえ安らぎもなく、生きている意味を問いかけていました。こんなに苦しんで生きなくてはいけないのかと。今は安らかにお眠りください、もし天国、あるいは浄土があったら、再び君と会いたい。君に会えたことで私の人生は大きく変わった」と結んだ。

 彼はT君で、18年前に障害の重さを理由に普通高校への入学を拒まれ、不合格取り消しの訴訟を起こし、日本中のニュースとなった人物である。私は彼の高校時代の担任であった。40年の筋ジストロフィーとの闘病の最後に、介護してきた両親へ残した言葉は、「僕がいたためにできなかったことを全部してからこちらに来て」だった。

 亡くなる1か月前に、彼に話した。「人生の意味が何か、よく考えたらわからない。でも、君に励まされた多くの人がいる。」

 気管切開をしていた彼は、声が出なかったが、いつもの彼のようにまっすぐ私を見て聞いてくれた。しかし、苦しんできた人生の意味については納得していなかった。彼の目がそう語っていた。

 T君は訴訟に勝訴した直後に、K学院高等部に入学した。彼が2年生になるとき、彼の担任になりたいと申し出たが、学年主任は「先生は学者タイプだから向いていないのでは」と言われた。数学で博士号を取得した直後だった。とっさに出た言葉は、「研究をやめてもよいから担任をしたい」で、数学の研究は自分にとって本当に大事だったから、自分の言った言葉に驚いた。結果として、主任の心を動かすことができ、彼を迎えた私のクラスは、お互いに優しく気遣う雰囲気になり、退学しようと思っていた生徒が立ち直ったり、劣等感で苦しんでいた生徒が大きく伸びた。そして、T君とパソコンの周りに生徒が集まり、CGや映画を作った。当時、彼が絵を描いていた姿を覚えている。星空に一つ一つの星を丁寧に描いた天の川で、Photoshopというソフトを使った。普通、このソフトは絵を描くには適さないが、彼には適していた。絵を何十倍にも拡大して、一つ一つのドットを描き、それを縮小したら絵になっていた。小さなことを一つずつ大事にして生きている彼そのものだった。彼は寡黙だったが、私も生徒たちも何か、言葉で表せない大事なものを彼から学んでいた。彼の担任であることが本当に充実した時間になった。

 高校を卒業して、大学の2年目に彼は体調を崩して入院し、定期試験を休み、数日の準備だけで理系8科目を4日間で追試することになった。今から考えると、大学に頼んで、無理のない追試をしてもらうべきだったが、若かった私には思いつかなかった。試験準備を手伝ったが、前日になっても範囲を終えることができず、深夜になり、疲れ果てた彼は意識を失いそうだった。最後には聞こえているかどうかわからずに、必死で説明したが、彼は翌日試験で正しい解答をした。薄れいく意識のなかでも、理解していたのだ。その後彼は、宇宙物理を専攻し、大学院へ進み、厳しい病状のなかで努力して修士号を取得したが、卒業後は体力が衰え、自宅で過ごす時間が長くなった。

 亡くなる前の彼は、「自分の人生が人の世話になるばかりで終わってしまった。もっと何かできたかもしれないのに」と後悔していた。しかし私は、彼は彼らしく、人生を生き切ったのだと考えている。

 彼は、病気に関して一切の愚痴も悔しさも言わなかった。家族にきつい言葉を使ったことは一度もなかった。彼のお母さんは「一切不満を言わないけど、少しくらい言ったらよいと思うけど」と言われていた。中学校時代の担任が「もっと言いたいことを言えば良い」と言った時、家に戻って来て、「言ってしまったらおしまいだ」と言ったそうである。この言葉を、彼が入学してきた時に知ったが、意味がわからなかった。今から考えると、中学生くらいの時に、悔しさなど絶対に言わないと決めたのではないかと思う。ただ一度、彼が泣いて悔しがったことがある。高校入試で不合格となった時である。それ以後、彼は亡くなるまで二度と涙を流すことはなかった。

 人権を問いかける裁判で日本中に名前が知られた彼に、さらに障害者問題での発言を期待した人たちもいたが、彼はあくまで寡黙だった。裁判での勝訴は、日本の教育史の重要な事件だったが、彼が病気に関して一切悔しさも不満も言わないということを一生貫き、同時に、重い障害の中で彼に残されていた知的活動の結果を正当に評価されなかった時に、激しく抗議したことを考えると、彼のメッセージは、一人の人間として、正当に扱って欲しいということだった。そう考えると、寡黙に見えた彼の人生は雄弁に語っている。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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