生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第3回エッセー部門

第3回入賞作品 − 一般の部 
入選

「命をみつめて」

成田 亜樹子(46)北海道

 函館から愛知県に出て看護学生をしていた3年目の最後の春、臨床実習に出る前の健康診断で再検査の指示が出た。私だけ再検査、独り胸部外科外来の前で待っている時間が怖くてたまらなかった。もしかして......と色んなことを考えた。看護師を目指して勉強をしていたことで、知識や情報が余計に私を怖がらせた。

 「ここ見て。看護学生さんなら分かるよね。がんです。」と医者が言った瞬間に、私の人生が終わるんだと思った。たったさっきまで、こんな状況に立たされるとは思いもせず、アパートまでどうやって帰ったのか覚えていない。

 検査を重ねた結果、結核の診断となり瞬時に死の恐怖からは離れたが、ゴールの見えない隔離入院になった。「内服が効かなかったらどうしよう......」という不安。「実習に出られないということは卒業できない。看護師になれないんだ」と、病室のベッドで毎日泣いた。「なんで私が?」と、やり場の無い怒りと絶望感で一杯だった。入院とアパートでの療養を経て、学校の協力のもと、夏休み期間を利用して実習ができることになった。私は、絶対に看護師になって患者さんを全力で支えると改めて誓った。

 臨床実習で私が担当させていただいたAさんは、癌の診断で両乳房切除手術した50代の女性でした。とにかく明るく元気で笑顔で、私はAさんから励まされて毎日の実習を過ごした。

 ある日、検査に付き添い病室に戻る途中の階段で、Aさんは急に私の背中に顔をつけて声を出して泣き出したのだ。私は何も言わずにAさんが泣きたいだけ、泣いてくれたらいいと思いながら、どんなにつらくて怖くて毎日いただろうと全身で受け止めていた。一緒に過ごす中でAさんは「息子のお嫁さんがどんな人か見たいし、孫は何人生まれるか見たいし、行きたいところたくさんあるし、美味おいしい物たくさん食べたいし、まだまだたくさんあって困っちゃうな」と言っていたのを思い出しながら、私の親くらいの大人が声を出して泣く深淵を思い、胸が詰まった。私も春に癌だと言われた瞬間があり、隔離された孤独感が消えずにあったからだ。階段の踊り場に響くAさんの泣き声をそっと聴いていた。「戻ろっか」Aさんは元気な声でそう言うと、階段を先に降りて行った。実習最終日に頂いた手紙には「黙って泣かせてくれてありがとう。」と書いてあった。Aさんとは、卒業してからも2年ほど手紙や葉書はがきを通してつながっていた。

 ある日、一枚の葉書に「妻は、急に状態が変わり、入院しておりましたが、逝ってしまいました。生前はくしていただきありがとうございました。あなたの話を楽しそうにしていました。」としらせがきた。こんなにかなしい気持ちをどうしたらいいのだろうと、玄関で泣きながら立ち尽くしていた。

 私は、自分が死ぬかもしれないという恐怖や、当たり前の生活ができない怖さを経験して、改めて命や健康の大切さを考えるようになったのです。一瞬で健康ではなくなる、死を覚悟しなければいけない現実は誰にでも訪れるものだから、元気に暮らせることが当たり前だと思ってはいけないということに気がついたのです。

 今は看護職を離れ、未来を担う子どもたちのいる学校で養護教諭として勤めています。子ども達に健康について教える時、私はAさんとの出会いを話しています。真剣に聴いている子どもの心に、命の重さや大切さが届くように。そして、自分の命や存在がかけがえのないものであることを、子ども達の心に響くように伝えます。

 たくさんの患者様との出会いは私にとって支えであり、こうして命について深く考えることを教えてくれました。その出会いや経験を生かして、これからの時代を生きる子ども達に少しでも「命をみつめる時間」をもって欲しいと思います。たった一つの命、一度きりの人生を大切に考えられる子どもになって欲しいと思います。

 私がAさんとの出会いを子ども達に話すことを、Aさんは許してくれていると思います。Aさんの一生懸命に生きた命が、私の中で生きているからです。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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