生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第3回エッセー部門

第3回入賞作品 − 中高生の部 
最優秀賞

「旅立ちのお手伝い」

岡田 経奨(13)広島県

 「旅立ちのお手伝いに行ってくるね。」そう言って、母は訪問バッグを持って、出発の準備を始めました。そんな時僕は、「気をつけてね。頑張ってね。」と言って送り出します。

 母は、僕が生まれた時は、病院で患者さんの看護をする看護師でした。それから、配属が変わり、訪問看護師になりました。訪問看護師の仕事は、おうちで、病気や障害を持っている人の看護やリハビリのお手伝いをすること、時には、患者さんが亡くなる瞬間を見てそのあとのお手伝いもします。また母は、いつも会社用の電話を持っていて、家ではいつでも手に取れるようなところに置いています。電話が鳴ればすぐに対応をして、緊急時であれば、すぐに準備をして、患者さんのもとへ向かいます。電話は夜にも鳴ります。そのため、僕が朝起きると、母がいなかったり、母が家に帰ってくる音で、起きることもあります。母の仕事を間近で見たことはありませんが、仕事から帰ってきた時の疲れた顔や、母の話を聞くと、とても大変な仕事だと思います。それなのに母は、毎日働いていてすごいなと思います。

 母によると、今の訪問看護師は働く人も少なく、またきつい仕事なので、精神的な病にかかる人も少なくないそうです。それでも、全国で研修会を開いて、働き方や看護の仕方などを話し合うそうです。

 今日本では、高齢化が進みこれからもっと看護が大事になるといわれています。母も若い看護師を育てるために、患者さんのお家に一緒に行って看護について教えたりしているそうです。

 看護師は仕事に慣れるまで時間がかかったり、仕事の内容がきつかったりと大変なこともありますが、患者さんとコミュニケーションが取れたり、患者さんや患者さんの家族から感謝されたりととてもやりがいのある仕事だと思います。

 最近、母はよく、「私が、がんになったら」とか、「寝たきりになったら」とか、もしもの話をします。僕は、母が病気になった時のことなど、考えたくありません。ですが母は、「人は生まれてきたいじょう、いつかは死んでいく生き物なんだから今元気なうちから考えておく必要があるんだよ。」といいます。確かに、長寿社会といっても、いつかは必ず「死」を迎えます。その時に、自分がどうしたいか、どうしてほしいかを自分の気持ちが伝えられるうちに、身近な人や大切な人に伝えておくことは、大事なことだなと思いました。でも、やはり身近な人の「死」を考えるのは、怖いという気持ちがあり、母にそのことを伝えると母は、話をしてくれました。

 母の母親、僕にとってのおばあちゃんは、僕が生まれるずいぶん前に死んでしまいました。だから実際に見たこともありません。母は、おばあちゃんの死んだときのことを話してくれました。

 おばあちゃんは、町内の健康診断を毎年受けていたそうで、いつも「A」判定で、健康な状態だったそうです。でも、その年の健康診断では、「D」判定で、病院に行くと「末期がん」と診断されました。手術も受けたけど、余命3か月と言われたそうです。今では本人への「告知」は当たり前ですが、その当時は「がん」であることを本人に知らせることはせず、がんということを隠したまま入院生活を送ったそうです。入院中、おばあちゃんが残された時間をどう過ごしたいかや、お家のことで気になることや子供たちに言い残したいことがないか等、聞きたいけれど聞けなかったそうです。最期の日を迎え、おばあちゃんはお家に帰ることなく病院で最期を迎えたそうです。今でも母は、おばあちゃんが残された時間をどう過ごしたかったか、気がかりなことがなかったかなど気持ちを聞けなかったことを悔やんでいるそうです。

 母からその話を聞いた後、母が今なぜこの仕事を続けているのかが少しわかった気がしました。そして、母が「もしも」の話を僕にする理由もわかった気がしました。

 人は生まれたいじょういつか死を迎えます。当たり前のことだけれど、そのことに目を背けず、だから今の時間を大事に生きる必要があるということをあらためて感じながら、毎日を過ごしていこうと思いました。時には、つまらないことで嫌になったり、ちょっとしたことがとってもうれしかったり。そんな毎日が生きている証だと思えば、一日一日がとっても大事だなと思えます。こんなことを、気づかせてくれた母に感謝したいです。

 そして今日も母は僕に言います。

 「旅立ちのお手伝いに行ってくるね。」

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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