玄侑宗久審査員特別賞
さする手の記憶
木村 翔子(43)北海道
例えば転んで泣いた時、悲しみに沈んだ時、ご機嫌で寝転んでいる時も、誰かがそっと体をさすってくれた。祖父母や両親がいつも側にいてくれた頃の、断片的な記憶だ。そして、こうしたささやかな営みによって、私は生かされてきたのだと、最近になってしみじみと想う。
20代の後半に、北海道から単身で上京し、数年後に結婚。その4年後に息子が生まれた。初期の流産を繰り返した後だったから、お腹に赤ちゃんがいるとわかった時は、驚いたし、
色々な努力をしたが、結局逆子はそのままだった。転院先の病院で帝王切開術の日程も決まり、いよいよと覚悟を決めていたら、予想外のことが起こってしまった。手術を4日後に控えた夜に、お腹の中で赤ちゃんが私の下腹部を強く蹴り、破水したのだ。うろたえながら、母が運転する車に乗り込み、夜中の病院へ向かった。
病室では、先生が陣痛を抑えるように処置をして下さった。その後はほとんど眠れなかったが、とにかく赤ちゃんが無事で生まれるように祈る気持ちで過ごした。翌る日の朝に手術し、息子は無事に生まれた。手術室で看護師が「元気な赤ちゃんですよ」と、身動きできない私のために、顔のギリギリまで息子を近付けて見せてくれた瞬間の
9日間の入院だった。普通食を食べられるようになり、体中の管が外れ、起き上がる練習をして、私の体も徐々に回復していった。同時に、慣れない手つきで息子に授乳をしたり、淋浴の練習をした。お母さんになろうと必死だった。
そして、退院も間近に迫った7日目の夜。なぜだかわからないが、急に両脚が痛くて眠れなくなってしまった。こんなことで迷惑を掛けてはいけないと思ったが、ついにナースコールで助けを呼んだ。すぐにその日の当直だった助産師Aさんが来て下さった。Aさんは、病院で行われている妊婦向けヨガ教室の担当者で、私も毎週通っていた。そこで逆子の相談もしていたから、私のことを覚えていて、入院中も何かと気に掛けて下さっていた。静かな雰囲気の中に、明るさと芯の強さが感じられる方で、私はAさんをとても信頼していた。「脚が痛いんです」と私が言うと、Aさんは薄明りの中で私の脚をじっと見つめた。そして、「辛いね」と静かに
あれから11年。その間に4つ歳の離れた妹が生まれ、息子も娘も小学生になった。瞬く間に成長していく子ども達に、夫と2人であくせくしながらも、ささやかな日々を楽しんでいる。今度は小さな手が、夫や私の体に触れて元気を与えてくれている。思ってもみないことだった。
あの夜、Aさんの手に不思議なほど安らぎを覚えたのはなぜだろうと考えてみる。助産師であるAさんが日々向き合っていたのは、生まれたてのいのちそのものだった。
私は昨年から、パートタイマーとして福祉施設で働き始めた。利用者の中には、話し言葉ではうまく気持ちを表現できない人もいる。それでも、表情や身振り手振りから、嬉しさも楽しさもたくさん伝わってくる。時には怒ったり、何かに