生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第9回エッセー部門

第9回入賞作品 − 中高生の部 
水野真紀審査員特別賞

海を眺めながら

小田原 迦凛(18)宮崎県

「かりん、じいちゃんはもうダメじゃ......

 ある春の昼下がり、いつものように近くの堤防で日向ぼっこをしながら海へ糸を垂らしている時に祖父から言われた。「えっ? まだ諦めたらいかんよ。もう少ししたらいい流れが来るが」と私は自分の釣り糸から目を離さずに答えた。釣りは待つことも大事で待っている間が何なら一番楽しいと私にいつも話していた祖父らしくない言葉に一瞬すごく違和感を感じた。だが、その時は特に祖父に尋ねることなく自分の釣り糸の動きに集中した。祖父は「おーぉ、そうじゃった。諦めたらいかんよな」と頭をかきながら笑った。今思うとその笑顔はどこかさみしそうだった。

 それからしばらくして両親から祖父が前立腺がんの末期で手術も難しく治療も対症療法をしながら定期受診をして様子を見ていくことになったと教えられた。確かに最近は食が細くなり歩く速さも遅くなっていることが気になっていたがそれ以外はいつも通りの祖父だったので両親の話を聞いても信じられない気持ちでいっぱいだった。両親や祖母は、祖父の体調を心配して夕刊の手伝いを辞めて好きなことをたくさんして欲しいと祖父に話していたが祖父は「いつも通りが一番幸せ。動ける内は働きたいんじゃ。何年新聞を配っていると思っている!」と逆に怒り出してみんなの心配を振り払っていた。祖父は広島県から全く知らない宮崎県の地へ来て新聞配達業を始めた。40年以上、仕事一筋に雨風の強い日もどんな日も新聞を待っているお客様へ届けることに心血を注いだ。80歳になろうとしても尚、少しでも役に立ちたいと一線を退いた後も夕刊を配る手伝いを頑張っていた。

 そんなある日、私が1人で居間でテレビを観ているとどこからかうめき声が聞こえてきた。その瞬間、祖父かもしれないと思うと私の心臓がギューッと苦しくなって不安になった。「じいちゃん、じいちゃん」と半分叫びながら声のする方へ走るとトイレにうずくまる祖父を見つけた。祖父は急に大量の下血が始まり意識を失いかけていた。

 その後、救急車で運ばれた祖父は十二指腸からの出血が原因だったことが分かり治療を受けしばらく入院となった。そこから祖父の体調は一進一退しながら確実にできることが減っていった。退院して自宅に帰ってきてからも横になっていることが増え、あんなに辞めたくないと言っていた夕刊の手伝いも自分から辞めた。そして、ある日私にそっとできれば死ぬ時は家で死にたい、だから入院はしたくないことを教えてくれた。「かりん、じいちゃん負けんからな。また釣りも一緒に行きたいんじゃ」と私の手をギュッと握って話してくれた。それから祖父は少し痛みがあっても祖母や両親には言わず尋ねられても「大丈夫じゃ」と答えていて私が痛い所はないかと声をかけると「かりん、右足と背中も少し痛いからクッションを持ってきてくれんか」と私には何でも伝えてくれた。私も大好きな祖父に頼られることが(うれ)しくて時間があれば祖父の所へ行きトイレの介助や食べたい物を運んだりと少しでも役に立ちたい一心だった。季節が変わり祖父の(せき)が頻繁に出るようになり背中をさすってあげると祖父の背中はまた一段と小さくなり背中の骨がパジャマを通して直接触れるようになっていた。私は、さすりながら涙がこぼれそうになるのを祖父に見られないように必死に堪えるのがきつかった。

 それからバタバタと祖父の容体は悪くなりその日が突然訪れた。私が学校から帰宅すると祖父が病院へ運ばれたと知らされた。祖父は急に呼吸困難になり今、治療中だが両肺に水が()まりとても厳しい状況だと教えられた。きっと本当はもっと早い段階で受診しないといけないくらい辛かったのかもしれない。家にずっといたいという祖父の願いを(かな)えてあげたいと自分も思っていたことで祖父の状態の変化に気付けなかったのかもしれないと自分をすごく責めた。亡くなる前日の面会の時、意識のない祖父の耳元で「じいちゃん、また釣りに行こう。待ってるからね」と伝えた。祖父の閉じた目元から小さな涙が一粒こぼれた。

 今は祖父と2人で行った堤防に私1人、祖父の釣り竿(ざお)を握って糸を垂らしている。「焦らんでいい。人生と一緒じゃ。良い時も悪い時もある。諦めたらいかん」祖父の言葉が今もずっと私の心の中で聴こえている。「じいちゃん、焦らんよ。諦めんよ。でもさみしいよ、じいちゃん。大好きだよ、じいちゃん」

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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