東京海上日動あんしん生命賞
患者に寄り添い、家族に寄り添う
松田 正弘(67)京都府
4年前、母が92歳になった年の12月、かねてより考えていた母との2人暮らしを実行に移した。それまで母は、僕が家族と暮らす家の近くのアパートで15年間ほど1人暮らしをしていたのだが、90歳を超えた頃から家の中や買い物の途中に転んだという話をよく聞くようになった。妻のお母さんは車椅子生活で、我が家で介護していたから母を呼ぶわけにはいかない。
母が33歳のある日、朝、元気に会社へ出かけた父が夕方にこの世から消えた。結婚生活わずか8年目の冬のことだった。以来60年間、幼い姉と僕を育て上げ、働いて働いて働き抜いて1人で生きてきた。そして12年前には姉が58歳で天国へ。最愛の娘まで失った母をこのまま最後まで1人にさせておけない。元気なうちに息子と2人で生活させてやりたい。思い切って妻に話すと快く賛成してくれた。母が暮らしたアパートを引き払い、僕が営む飲食店のすぐそばにあるマンションで、親子の2人暮らしを始めたのだった。
暮らし始めて3年ほどは2人で元気に幸せに過ごしていたのだが、徐々に母の足腰が言うことをきかなくなってきていた。外出する時はもちろん、家の中でも手押し車が必要になり、ベッドの横にポータブルトイレを置いた。好きな料理もほとんど椅子に座っての作業に変わり、お風呂も一緒に入るようにした。それでも僕が休みの日には2人で食事をし、僕の面白話にケラケラと笑い、母の昔話に耳を傾け、笑顔いっぱいの時間を過ごした。
今年2月のある日、帰宅するととても苦しそうにしていたので夜中に救急車を呼んだ。肺炎を起こしていたのでそのまま入院。翌日、救急のW先生から電話があった。今の状態をきちんと伝えておきたいので時間を作ってもらえますか、と。W先生はとても分かりやすく丁寧に、母の現状と今後の見通しを話してくださった。肺炎、
次の日の夜遅く、W先生が電話をくださった。「もうお仕事終わりますか?」「はい、さっき最後のお客様が帰られて、今、後片付けしてます」「もしも良かったら病院へ来ませんか? ICUの個室なので恭子さんとゆっくり過ごせます」「先生、ありがとうございます! 終わったらすぐに行きます」
深夜に病院に着き、朝方までゆっくり母と過ごした。僕の話しかけに
大急ぎでタクシーに乗り病室へ駆け込んだ時には枕元のモニターは全てゼロの数字を示していた。Kさんが、「たった今やねん。でも最期まで私ら2人でずっと話しかけて、息子さんすぐ来られるよって言ったら何回も何回も頷いてはったから。恭子さん1人で逝かはったんじゃないよ」「ありがとうございます。それは本当に救われます。僕は夕べ思う存分ふたりの時間を過ごしましたから」
W先生が来てくださった。「力及ばす申し訳ない」「先生、本当にありがとうございました。僕も母も思い残すことは何もないです」「たしか3、4日前までお二人で暮らされていたんやね?」「はい。4日前の晩ごはんは母が作ってくれたものを食べました」「うわぁ、こんなに幸せな婆さんはそうそういないですねぇ」
W先生のこの言葉で、僕は今日も穏やかな心で仏壇に手を合わせ、笑顔で母の写真に話しかけることができている。