生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第9回エッセー部門

第9回入賞作品 − 中高生の部 
養老孟司審査員特別賞

新しいスタート

栗岡 くしな(14)東京都

 私は父、母、双子の姉との5人家族で、末っ子として育ちました。姉達は年が9つ離れていて、話す話題も生活リズムも違う。両親とも仕事をしているため家族全員がそろう時間はほとんどなく、日常の中で一緒に過ごすというよりすれ違うことのほうが多かったように思います。保育園の頃から家が近い祖母が面倒を見てくれて、それが当たり前になっていたけど、どこかで「なんでうちはみんなで過ごせないの」「なんで自分だけおばあちゃんと一緒にいるの」と思っていました。今考えると、私は家族がどんな想いで動いていたのか何も知らなかったんだなと思います。

 小学4年生のある日、久しぶりに家族で集まった時ことでした。母のお腹に新しい命が宿ったことを知り、(うれ)しさで胸がいっぱいになりました。ずっと弟か妹がほしいと願っていた自分にとって、それは夢のような出来事で実感が湧きませんでした。母が病院に行くたびに見せてくれるエコー写真を毎回ドキドキしながら眺め「ここに命があるんだ」という不思議な感動と同時に自然とその子を想うようになっていきました。それまで家の手伝いは積極的にしてこなかったし、正直、自分のことでいっぱいいっぱいの子どもだったと思います。でも、赤ちゃんができたと知ってからは、「ちゃんとしなきゃ」「お姉ちゃんになるんだ」という気持ちが芽生えてきて、洗濯物や皿洗いをするようになっていました。「この子が生まれてくる頃には、少しでも頼れるお姉ちゃんになっていたい」という想いが、自分の中に根付いていった気がします。

 それからしばらくして、母が検査入院のため病院へ行くことになりました。父も付き添って出かけ、その日、先に帰ってきた父に
「ママ、元気だった?」
と聞きました。父は少し黙ったあと、
「ママは元気だったけど赤ちゃんが」
とだけ言いました。父は最後まで言わなかったけど、小学4年生だった私にも、父の言いたいことはすぐに理解できました。気が付くと、私は涙を流していて、ずっと楽しみにしていた命にもう会えないとわかった瞬間、心にぽっかり穴が空いたような感覚になったのを今でも覚えています。父に、
「くしながそんな気持ちになるのもわかるよ。でも一番つらいのって誰だと思う」
と聞かれ、それは「母」であると思いました。その夜は、ベッドに入っても涙が止まらず、枕がぐっしょり()れるほど。気持ちは晴れないまま、いつの間にか眠っていました。あの日のことは今でもはっきりと覚えていますが、次の日からの記憶はほとんど残っていません。あまりにもショックが大きく、何も考えられなかったのだと思います。

 お葬式には親戚も集まってくれて、みんなでその子を見送りました。その日私は初めてその子と会いました。小さな白い箱の中にいた男の子は手のひらにおさまるほどの大きさで、静かに眠っていました。これが最初で最後に会った弟でした。火葬の時、
「体が小さいから灰しか残らないかもしれない」
と言われました。でも実際には小さな骨がきちんと残っていたのです。当時の私はその意味を深く理解できていませんでしたが、今思えばあれは神様がくれた優しさだったのかもしれません。小さな命の名前は「創」。「新しいものを生み出す」「始まりをつくる」といった意味があります。私はこの出来事の後も両親から多くを聞いたわけではありませんが、この名前にはきっと、「この出来事をまた新たな出発点としよう」という想いが込められていたのだと思います。

 私はこのことをきっかけに、「命」についてこれまで以上に深く考えるようになりました。当たり前だと思っていた日々が、実はどれだけかけがえのないものだったのか。家族がいて、話せる友達がいて、笑い合える毎日があることが、どれだけありがたいことなのか。弟の存在はそれを教えてくれました。それ以来、小さなことにも感謝したり、目の前のことにしっかりと向き合おうという気持ちが強くなりました。受験や習い事に自然と力が入るようになったのは「今を大切に生きたい」と思うようになったからなのかもしれません。創が私達家族のもとにきてくれたことはきっと意味があったと信じています。これからもその小さな命がくれた大切な思いを胸に、自分らしく、命の尊さと支えてくれる人への感謝を忘れずに歩んでいきたいです。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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