審査員特別賞
「生命の止まり木」
田島 瑞生(21)埼玉県
大学2年生の夏、ぼろぼろになりながら生きた夏でした。記憶も
念願
2年生に進級する少し前、暴行に遭いました。次の日も朝から講義に出席し、友人と学食を共にし、いつものアルバイトに勤しんだ私は誰の目にも普段通りに映ったはずです。けれど、数日が経って、少しずつ崩れていきました。あれほど健やかだった体も、心も。
ふとした瞬間に突然思い出す記憶が生活を侵害します。眠れなくなり、人とすれ違うことや狭い教室にいること、バスに乗ることが難しくなっていきました。場所を問わず吐いてしまうことが増え、食事が怖くなりました。恐怖や不安を容赦なく呼び戻すのは被害を受けた時の
食べず眠らず語らず、体調は悪化する一方。なのに私は不調に反して活動的になりました。動き回ることで思考を停止させ、少しでも気を紛らせようとしたのかもしれません。早朝からコンビニの品出し、深夜まで飲食店の調理補助。最低限の会話と必死の作り笑いと共にただ黙々と働きました。友人や大学からの連絡を確認する時間と心の余裕すらなく、生活はまさに音を立てて「崩れていく」ばかり。
滅茶苦茶な生活を繰り返すうち、私は苦しさを発散する
狭く暗い下宿の一室で自分を責める日々。ある時洗剤を買いに重い体で外へ出ると、道中の、今まで気にも留めなかった看板に目が吸い寄せられました。一人で抱え込まないで、相談して、の文字。行き先がいつの間にか変わっていて、ふらつく体とぼんやりとした顔のまま心療内科へ向かいました。よく直感で行動できたなと今でも不思議に思います。
通された診察室で、私は多くを語れるはずもなく声を出すので精一杯。「普通に生活したいだけです。眠って食べて勉強して働きたい。でもできない。何が辛いかもわからない、元通りになりたい。」と伝えたことを覚えています。先生は多くを尋ねることなくただ淡々と、けれど力強く
その日、処方された薬が効いて何ヶ月かぶりに深く眠りました。目が覚めて空腹を感じた時、体が生きようとしていると思えて大きな
頑張れること、健康でいることが当然だった生活が壊れるのは容易でした。誰もが突然病気や不遇に見舞われ、頑張「れない」状況に陥りうるのだと思います。なのに、病や傷を癒やすための止まり木を見つけ、休むことは、普段健やかであればあるほど、傷が見えづらければ見えづらいほど、きっと難しい。私は幸運にも病院に
流れ、動く状態が常である社会や組織の中で、立ち止まり、助けを求め、休息することは難しい。けれど、癒える権利が皆に等しくあるはずです。私達は生きていい。どうか苦しさ辛さを抱えた人全てに止まり木が与えられ、安心して休める社会でありますように。私も生きる力を