日本医師会賞
「「わたし」の肯定」
小松﨑 有美(37)埼玉県
兄がいなければ。兄が病気になんかならなければ。兄が筋ジストロフィーと診断されて30年。私は幾度もそう思って生きてきた。
この病気は現在に至っても、治療方法、薬の開発に至らず、不治の病とされる。案の定、兄は10歳で歩けなくなり、20歳で寝たきりに。6年前には人工呼吸器をつけ、翌年には喉頭気管分離手術、
兄の病気を巡っては様々な
それからというもの全てに対して無気力になった。風呂も入らず一日中ベッドで天井を見上げるような生活をした。隣の部屋では同じく兄が天井を見るだけの生活をしている。
「オムツをかえますよ。」
「体を拭きますよ。」
母やヘルパーさんの声がする度、兄ばかり
ただ兄も
「筋ジストロフィーの患者さんは治療法もないんだから、そんなに頻繁に来なくてもいいよ。」と、大学病院で言われたときは皆でショックを受けた。
だが兄は人工呼吸器をつけてからも新幹線に乗って「絢香」のコンサートに行ったり、飛行機で北海道旅行もした。自分で介助者をつけ、車椅子の寸法なども窓口に伝えて座席を確保した。まるで自分の存在を社会に認めさせるかのように。
だが今はもう
先月ヘルパーさんによる年に1度の聞き取り調査があった。そこで兄は「趣味や希望はありますか。」と聞かれたらしい。何だかすごく不謹慎な質問。しかし兄は「長生きをすること。父が42歳で逝ったから、僕はその
人間は自ら望んで生まれてきたのではなく、自分の運命すら選択できない存在だ。筋ジストロフィーの患者たちは歩けなくなった時点から、人生とはなんと納得のいかない不条理なものかといった実感を抱いている。だからこそ残された器官で、残された時間を懸命に生きることが、受け入れがたい現実を受け入れるたった一つの道なのかもしれない。
まだまだ、いけるよ兄貴。
いっちゃえよ、兄貴。
嫉妬や葛藤を抜きに、少しだけやさしくなれる自分がいた。
今も日本には約2万5千人の筋ジストロフィー患者がいる。現時点で根本的な治療薬はない。病気とわかった日から、家族が患者に変わり、その人と共にあった暮らしが変わり、家族の人生が変わる。だけどそこには2万5千通りの生き方があり、幸せのカタチがあり、笑顔があって欲しいと思う。人生の価値を決めるものは、他者ではなく、紛れもない自分なのだから。
この秋、兄は亡くなった父の年齢になる。私も障害者手帳を申請した。
今はただ天井を見上げる生活を、静かに、肯定したいと思う。