生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第5回エッセー部門

第5回入賞作品 − 中高生の部 
優秀賞

「生きているということ」

稲葉 愛理(15)北海道

 私には5歳年上の兄がいる。が、私の兄は障害者だ。人々は私の兄を見て「可哀想かわいそうだ。」と言う。なぜ「可哀想だ。」と思うのか。障害者という前に、その人は一人の人間であるということを知ってほしい。ただ生まれるときに、神様の手違いで普通の人にはない、チャームポイントができただけなのだ。だから「普通」に合わせる必要はないし、他人からどうこう言われる筋合いでもない。

 そうは言っても、やはり辛い思いをすることはたくさんある。例えば、私がまだ言葉もおぼつかない頃、母は私と兄を連れて公園に遊びに行っていた。私と兄が遊んでいる時に、ちょうど兄の同級生がいたそうで、その同級生たちは兄と私を見て「あの子、Kの妹だぜ。」と言い、コソコソと何かをしゃべっていたそうだ。Kというのは兄の名前だ。それを見た母が、これでは娘が小学校に上がったときにいじめられてしまう、と思ったらしい。そんなことがあり私は家から離れた私立小学校に入学したのだ。それを聞かされたときは、母になんと声をかけていいのか、わからなかった。でも今となっては、私のことを考えてくれた結果だと思える。その同級生も当時は子どもだったから仕方がないとは思う。けれども、やはり母の心には相当傷が残ったはずだ。そんなことが何度もあったかと思うと、母の気持ちは想像を超える。今年で兄は二十歳はたちになるが、この20年間どれだけ辛かったことか。これからもその痛みは続く可能性がある。その痛みを共有できない自分に対する無力さを恨んだことは、この15年間で何度もある。それでも私は母の思いを全てみ取ることはできないし、私には到底何もできない。この歯痒はがゆい気持ちは今でもある。そう思うとやはり母という存在は、とても美しく強いものだと私は思う。

 私は思春期という時期もあって、兄のことが嫌いだった。一緒に歩きたくないと思ったことも多々ある。しかし、あることがきっかけで、そんな自分がものすごくひどい奴だと思い知らされた。それは、兄と私が喧嘩けんかをしている時に、母は私にこう言った。「まるで、兄を産んだことを否定されているみたいだ。」と。それを聞いた私は、何も言い返せなかった。絶対に思ってはいけない事だと知っていたが、どこかでそう思っている自分がいた。そんな自分がいることにすごくショックを受けた。確かに、私が兄に浴びせる罵詈ばり雑言の数々は酷いものだった。その人の人格を全面否定しているようなものだ。この事実は受け入れなくてはならないし、許されないことでもあった。こんな自分が心底憎たらしかった。昔は兄が大好きだった。いつも2人で遊んでいたし、寝るときも一緒だった。しかし今は兄のことを避けていた。でもこの前、私は久々に兄の顔をまじまじと見た。そうしたら兄は私の顔を見てニッコリと笑った。とても純粋で天使のような笑顔だった。なんだか兄のことを嫌っていた自分がバカバカしく思えてきた。それと同時に泣きそうにもなった。こんな自分をどうか許して欲しいと。兄は私が泣いていたら心配していつも声をかけてくれた。兄は私が楽しそうにしていたらいつも一緒に楽しそうに笑っていた。そんなことを、純粋で無垢むくな笑顔を見て私は思った。

 彼らは一日を一生懸命に生きようとしている。言葉が通じなくても身振り手振りで伝えようとしたり、手や足が使えなければ目で合図を送ったり。その生命の力強さはとても美しいと、この15年間で実感した。だから私は彼らの手助けをしたい。排便を満足にできない人や食事をするときに誰かの手を借りなければ食べられない人だっている。だから将来、医者として仕事をしたいと思っている。障害自体を治すのではなく、幾分いくぶんか生活が楽になるようなことをしたい。そして私は子どもが好きなので小児科医になろうと思っている。障害を持つ子をメインに診る医者になりたい。その子どもたちと向き合い、生活するための手助けをしたい。その為にはたくさんのことをしなければならないし、仮に医者になったとしてもその先はとても過酷だろう。しかし私はこの仕事をして少しでも障害を持った子どもたちが楽しく暮らせて、あの純粋で無垢な笑顔を私たちに向けてくれたら、それは大きなやりがいになると私は思う。だからこれからは兄とちゃんと向き合っていこうと思う。兄のあの天使のような笑顔がまた見たいから。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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