読売新聞社賞
「傷のある看護師さん」
大西 賢(49)東京都
28歳のときに、腰の病気で1ヶ月ほど入院することになった。私にとって、人生初めての入院である。
「こんにちは。これから1ヶ月、よろしくね。」
私の担当になったという女性看護師さんがそう言って初日、挨拶に来てくれたのだが、正直、戸惑った。彼女の顔に大きな傷があったからである。
私と同年齢だというのだから、28歳の女性である。顔の傷は、かなり大きな問題のはずだ。だが、彼女はそれを隠す気配がなかった。ファンデーションやメイクによって、完全とまではいえないまでも、傷を多少なりともごまかすことはできたはずなのだが、看護師さんは傷を隠そうとしていなかった。化粧は口紅と眉毛を描くぐらいであり、ほっぺの傷は、まったくそのままなのだった。
入院して1ヶ月後、私は腰の手術をした。腰なので、自分の目では見えない。
「傷跡、どんな感じですか?」私が女性看護師さんに
そうか、彼女に顔の傷の話をしてもいいんだ。そう思って、「そういえば、その傷、どうしたんですか?」と試しに訊いてみた。結婚前の女性に顔の傷のことを訊くのだ。やや無神経な質問である。怒られたり気分を害してしまったら、素直に謝ろう。そう思っていたのだが、彼女はケロリとした表情ですべて話してくれた。
中学生のときに交通事故で傷が残ったこと。何度か形成手術をしてみたものの、医師からは、「もうこれ以上、傷は薄くならない。」と言われ、後遺症として認定してもらったこと。それらを聞いてしまい、ちょっと気まずくなった私は、「大変なご苦労をされたんですねえ。」と返した。ところが、違うというのである。この傷のおかげで、彼女は看護師として飛躍的なキャリアを積むことができたというのだ。
私の入院している部屋は整形外科病棟であり、命にかかわる病棟ではない。だが、以前、彼女は命にかかわる病院に勤務していた。10代、20代で人生を終える人が後を絶たず、精神的に追い込まれていったという。
そんなある日、23歳の女性が入院してきた。脳
「ほら、あたし、顔にこんな大きな傷があるのよ。」
そう言って、顔を見せると、癌の彼女は驚いたという。看護師さんは言った。
「隠したければ隠せばいいし、そのままでいいなら、そのままでいい。とにかく、あたしにだけは隠し事はしないでね。」
そう言うと、癌の彼女も心を開き、なんでも話してくれるようになったらしい。
癌は急速に進行し、余命は3ヶ月と告げられた。自分でも、身体の調子から、長くないことは分かったのだろう。
ある日、癌の彼女はそれまでずっと離さなかった毛糸の帽子を脱ぎ捨て、堂々と鼻に酸素チューブをするようになったという。
「看護師さんが顔の傷を隠していないから、あたしも隠さないことにした。」
そう言って、堂々と髪の毛のない頭や酸素チューブを披露して、病院内を動き回ったという。
3ヶ月後、癌の彼女は23歳でその生涯を閉じた。
「信頼できる看護師さんに出会えて良かった。」
最期にそんな言葉を残したという。
「あのときに、顔の傷を隠さないで良かったなあと思ったの。顔に傷があることで、患者さんと仲良くなれることもあるのよ。」
そう笑って話す看護師さんを見ながら、強い人だなあと思った。そして、まさしくこの人こそがプロだと思った。雑誌に取材されることもなければ、テレビに出ることもない。
それでも、顔に傷があり、そしてそれを隠すことなく、看護師の武器として日々、対応にあたる姿は、やはり輝いて見えた。