生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第7回エッセー部門

第7回入賞作品 − 一般の部 
入選

「今、そこにあるありふれた奇跡」

和田 つばさ(37)埼玉県

 まもなく1歳になる我が家のわんぱく君は、目下のところ、伝い歩きと、テレビのリモコンを触るのに夢中だ。産まれてからというもの、彼は自分が住む世界のあらゆるものを見て、触り、聴き、大いに泣いて笑って、毎日を全力で駆け抜けてきた。

 息子が産まれてから、私の方はこれまで思いもしなかった多くのことを考えるようになった。とりわけ、「奇跡」について。奇跡とは一体何だろうか? それまでの私は、何かしら特別なことを成し遂げることが奇跡だと思っていた。例えば、アメリカン・ドリームを達成するだとか、難病を克服するだとか、ごく少数の人が経験すること。だが、それは正しくないことに、私は徐々に気づき始めている。自分がいる今この場所にあるもの一つ一つの意味について、立ち止まって考えてみると、そこには奇跡が存在するということを突如感じることがある。息子が産まれた日から今まで、私にはそう思える瞬間が(いく)つもあった。

 2022年、街路樹の葉が美しく色づいている頃、陣痛により私は夜明け前に入院した。出勤時刻になると担当の先生と看護師の方が、「頑張りましょう。」と挨拶に来てくれた。さらにその日は看護学校の実習日であるらしく、看護学生さんが私の担当として退院まで付き添ってくれることとなった(きっともう素敵な看護師になっているだろう)。

 数時間が経ち、「とても順調に進んでいますよ。」と先生が言った。が、私には長く感じられ、内心では「まだぁ?」と思っていた。それでも、初産にしてはスムーズなようで、13時頃にいよいよ分娩室に通され、夫も呼ばれた。最後は吸引分娩になったものの、15時前に、身長49㎝の赤ん坊が世界に飛び出して産声を上げた。その時、私が感じたのは何よりも感謝だった。病院のスタッフさん、そして10カ月もの間頑張り抜き、命がけで産まれてきてくれた息子に。体を拭いた後、私の枕元にやって来た息子。彼の体は本当に暖かかった。それに加え、細部の印象が強く残っている。耳の周囲に大人と同じように毛が生えていたこと。産まれたてなのにくしゃみができたこと。外の世界に出てきたばかりだというのに怖がりもせず、気持ちよさそうに眠ってしまったこと。

 翌日、新生児室に息子を迎えに行った。初めての授乳を終え、ゲップの仕方を教わって、太(もも)に息子を座らせた。座った姿勢の彼の小ささに、「何? この小さな生き物?」となぜだかとてもシュールな気持ちになった。とりわけ、着物のような産衣を着ている彼は、小さな小さな侍のようにさえ見えた。夜になっても私は驚きっぱなし。産まれて2日目の赤ん坊が、こんな大音量で泣くことを知らなかったのだ。

 入院4日目は初めての沐浴(もくよく)。学生さんがお風呂に入れてくれた。息子は泣いていたのに、お風呂につかった瞬間、手を頰に当てて気持ちよさを絵に描いたようにうっとりと目尻を下げた。

 無事に退院して自宅に帰ってからも、特に新生児期は怒涛(どとう)の日々だった。出産前、育児雑誌で1日の授乳が頻回であるのを見て、夫と2人で「たくさん飲むね。アハハ。」と笑っていたのだが、いざ自分が体験してみると、その期間は人生で一番の寝不足の日々だった。その後も、乳頭混乱、湿疹、泣いている理由がわからないなど不安に思うことが幾つもあった。人生で一番心配した日々だったかもしれない。

 けれども、そんな日々の中で遭遇したのは、たくさんの奇跡だ。私の(てのひら)に置かれた息子の足の小ささ。大発見をしているかのように指をグーパーする姿。私の言葉に反応して、初めて彼が笑みを浮かべた日。初めての笑い声=これが彼の声なのだと知った瞬間。自分で哺乳瓶を持てるようになったこと。寝返りから仰向けに戻れず、いつもピェーンと泣いていたのに、その1カ月後にはドヤ顏で寝返り返りをする姿。突然の、つかまり立ちのお披露目。「我が家を見回らねば」と言わんばかりのハイハイで、力強く動く手脚。何やら面白そうなものを発見し、笑い声が止まらないくらいに喜びに満ちた姿。

 それらの光景は、私には全て奇跡に思える。産まれて1年も経たない小さな命は、目を輝かせながら、毎日毎秒、自分の世界を広げている。身長70㎝の小さな赤ん坊が自らの生命を躍動させている姿を見る時、奇跡は日々のあらゆる瞬間に存在することを私は感じる。昔から数多(あまた)の人が世界中で遭遇している光景。けれども、そのありふれた光景の中に、とても神秘的で、とても大切な何かがある。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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