生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第7回エッセー部門

第7回入賞作品 − 一般の部 
日本医師会賞

「天国からの贈り物」

坂野 和歌子(50)愛知県

拝啓

 猛暑もようやく過ぎ去り、朝夕には秋の気配が感じられるようになりました。M先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 早いもので春香が旅立ち、3年を迎えようとしています。先生と春香との出会いは、2013年の秋でした。春香は激しい頭痛と嘔吐(おうと)に襲われ、私たちはたまらず救急車を呼びました。救命救急センターのⅭT検査で脳腫瘍(しゅよう)が発覚し、当時はあまりの病気の重さにただただ体が震え、不安と恐怖に押しつぶされそうになりました。病室に移り、憔悴(しょうすい)しきった私たちに、先生は冷静に優しく病状について説明してくださいました。それから数日で容体が急変し、緊急手術をすることになり、その執刀をしていただくことになりました。その後は、7年にも及ぶ春香の闘病を支えていただき、大変お世話になりありがとうございました。

 当時、小学6年だった春香は、術後、放射線治療や半年間に及ぶ抗がん剤治療を受け、以来、病と向き合う日々が始まりました。中学に入学してからは、学業と治療との両立に必死になって立ち向かい、その姿は、昨日のことのように目に浮かんできます。体調の回復には十分な時間が必要で、なかなか思うように登校できない日々に、次第に情緒も不安定になり、半年ほど不登校にもなりました。そんな状態の中でも、先生にお会いできる定期検診だけは、とても楽しみにしていました。診察日が近づくと、伝えたいことや、見てもらいたい制作作品などを考えていました。実際にお会いすると、それほど多くは語りませんでしたが、心の中ではとてもワクワクしていたように見えました。絵を描くことが大好きだった春香、きっと、自分の想いを表現した絵や作品を、大好きだった先生に見てもらいたかったのではないかと思います。手に取って、「おお、これはすごい!」と言って下さった時の春香の笑みは、喜びに満ち(あふ)れていました。決して長いとは言えない診察時間ではありましたが、優しく温かなひと時でした。そんな思い出が(よみがえ)ると、とても幸せな気持ちになります。

 高校生になると、「漫画家になる」という夢をもつようになり、目標に向かって努力する日々が始まりました。しかし、7年目に入ろうとする頃、診察室で先生から「再発の疑いがある」ことを告げられました。あの時ほど、春香との限りある時間を意識したことはありません。再び手術に挑み、成功したものの予告されていた通り右半身麻痺(まひ)と失語症の障害を負いました。治療とリハビリに励む中、次第に精神症状をともなう発作も現れ、本人をはじめ家族もどんどん精神的に追い詰められていきました。その状況の中でも春香は、発作が落ち着いている時間に、左手に絵筆を持ちました。そして、絵を描き続け、亡くなる1カ月前に、『✕くん』という絵本を完成させてくれました。それは、存在意義を失いかけていた主人公の✕くんが、ある女の子のたった一言で勇気が湧いて、前を向いて進んでいく、そんな物語です。春香自身が、自分の存在意義と必死に向き合っていたのかもしれません。私たちは、春香に喜んでもらおうと、急いで印刷屋さんで5冊のみ製本してもらいました。手に触れることはできましたが、再々発で目が見えなくなっていたので、見ることや読むことは(かな)いませんでした。そしてその1カ月後、18歳の若さで天国に旅立ちました。再発からたった1年でした。私たちにとって娘が残してくれたこの絵本は、宝物となりました。

「人の心に何かを刻みたい。」

「人の役に立ちたい。」

 病床の枕もとで、春香は言葉が発せられなくなるまで(つぶや)き続けました。その後、多くの方々とのご縁とお力添えにより、今夏、正式な絵本として『✕くん』を出版することになりました。春香にとって絵を描くこと、それは生きる力そのものでした。絵本に込めたメッセージを多くの人に届けたいと思います。18歳で旅立ってしまった現実は、なかなか受け入れられるものではありませんが、春香の想いを(つな)いでいきたいと思っています。天国にいる春香から、絵本『✕くん』のプレゼントです。どうぞ受け取っていただけると幸いです。

 残暑なお厳しき折、どうぞお体を大切になさってください。先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。                               かしこ

坂野和歌子

令和5年9月9日

M様

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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