生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第7回エッセー部門

第7回入賞作品 − 一般の部 
審査員特別賞

「よすが」

久保 紗佑実(35)和歌山県

 先生がいるその場所は、私にとってかけがえのない場所であった。どんなに熱が高くても、うまく呼吸ができなくても、心が病んでいても、そこに先生の気配を感じるだけで私は心底安心していられた。

 重たいガラス扉を引いて、右手にあるちいさな受付に顔を見せる。「あらまた風邪ひいちゃった?」と薬剤師さんが体温計を差し出してくれる。患者さん達がお礼も兼ねて持ってくる植物が所狭しと置かれている待合には、年季の入ったちいさな灰色の椅子がたくさん並べられている。そこに座り前を見上げると、先生が描いた旅先の絵が壁に飾られていて、その下を患者さんと談笑しながら看護師さん達が流れるように動いている。あら〇〇さん!と世間話に花を咲かせるおばあさん達や、お互いの症状について話し合うおじいさん達。その人達からすれば孫ほど年が離れている私は周囲から完全に浮いているのだが、それでも私はここにいるだけで気持ちは安らいでいた。先生がいるからもう大丈夫だと。

「さゆみちゃんまた熱かぁ。血圧測るからここに座ってー。」

 看護師さんが血圧を測りながら症状を丁寧にメモしていく。

「最近はどう? ちゃんと食べられてる?」

 看護師さんも先生も大きな声で患者さんの名前を呼び、一人一人に声をかける。そうしてその人の日常にそっと優しく触れ、患者さん達の心をゆっくりと整えていく。

「はい、さゆみさんー。」

 先生の声が院内に響く。はぁいと手を挙げ(うれ)しさを隠しきれずへらへらとパーテーションの奥へと向かう。

 多くの国を学会等で旅してきた先生は、綺麗(きれい)な白髪に老眼鏡をかけ、頼もしさを(まと)ったその姿はとても格好よく私の目に映った。

 はじめて行った頃は大きな声であれもこれも言われてしまうので恥ずかしかったりもしたけれど、何年も何年も先生や看護師さん達と言葉を交わしていくうちに、いつしか自分の事までも話すようになっていた。

 当時まだあまり知られていなかった(うつ)病だと精神科で診断され、進学校だったので中退した。薬を多量に飲み、父に背負われ病院に走る事もあった。食事もきちんと摂ることが出来ず、なので私はすぐに高熱を出した。ぽっかりとした大きな恐怖と(さび)しさが常にそこにあり、自分だけではもうどうすることも出来なくなっていた時、私は先生にちいさく問いかけた。私が死んだらさみしい?と。先生は瞬間悲しい表情をし、それから真っ直ぐに私の目を見て、「さゆみさん死んだら先生めちゃめちゃ悲しいで。そらそうや。なんでや。なんかあるんか。先生に言うてみい。」と言った。過去に行った精神科ではあなたより酷い状態の人は山程いると言われ、カウンセリングではあなたより幼く辛い経験をした人がたくさんいると教えられた。その都度弱い自分を責め、生きていることを恥じた。目の前にいる先生はいつまでもまっすぐに目を見て、決して離さなかった。

 ここは町医者だ。


 それから10年以上が経ち、私はもちろん夫も息子も先生に診てもらうようになっていた。息子を連れていくととても喜んで、かわいいなぁと見たこともないような笑顔で診察をしてくれた。

 ちいさな変化を感じるようになったのはそんな時だった。患者さんが伝えた症状をくり返し確認するようになった。カルテの上に置くメモが増えていった。診察を終えた人の名前を呼ぶようになった。

 そのちいさな変化が確信へと変わってしまうより先に、この場所は閉院することとなった。

 さいごに3人で挨拶にいった日。初対面のような目で先生は私を見つめ、戸惑いながら笑顔を向けた。連絡先だけでも聞いておこう。それが無理なら住所を聞き手紙を出そうと考えを巡らせていたが、丁重に看護師さんが止めてくれた。

 昔、先生は教えてくれた。先生も弱いのだということ。患者さんのことを考えると眠れない夜があること。朝起きると身に覚えのない傷があること。先生も、薬を飲んでいること。

 今ではすっかり違う建物になったこの場所は、変わらず私の生きるよすがとなっている。

 目を閉じると、あの重たい扉や、古びた椅子、ちいさな受付がそこに見えるような気がする。ゆっくり奥へと足を運ぶと、白衣を着た先生がそこに座っていて、こちらを見つめ、微笑んでいる。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

過去の作品

PAGE TOP