入選
「身体拘束のベッドで叫んだ『便所』」
水落 宣尋(64)群馬県
施設入所している57歳の重度知的障害のある弟が、昨年春に帰省してまもなく、全盲の状態に陥った。右目は数年前に白内障の進行と網膜剝離のため失明している。「病院」と悲痛な訴えを繰り返す弟を連れて眼科を受診。1週間後、左目の白内障手術となる。
全身麻酔での手術当日、病室でオペ用の衣服と紙おむつが施された。この紙おむつが、その後、思わぬ騒動の種となる。
手術は無事終了し、病室に酸素ボンベやモニターが運ばれ、覚醒していない弟に、酸素マスク、血圧測定器具、パルスオキシメーターが装着された。
「こんなに色々な物を付ける必要があるのですか?」 私は、覚醒時の弟の反応を想定しながら、看護師に尋ねてしまった。
「全身麻酔での手術でしたから。お願いします」と、40歳代の女性看護師は、強い口調で返答し、不快感をあらわに退室した。
しばらくすると、覚醒した弟は案の定、右手で酸素マスクを取ろうとした。私は、すぐに手を押さえながら、「もうすぐ目が見えるようになるから、我慢するんだよ」と、むなしく繰り返した。暗闇で、状況判断のできない弟の興奮は30分ほどでピークに達した。私一人の力ではこれ以上制御できない。切迫した危機感でやむを得ず身体拘束を依頼した。
若い男性看護師が、素早くミトンを装着、機械的に結束バンドで手首、足首をベッドの柵につないだ。
5時過ぎに、ほとんど声を出すことのない弟が、拘束ベルトを引きちぎらんばかりに上体を起こし腰をくねらせて、全身から絞り出すように「便所」と叫び続けた。私と弟の間では死語となっていた「便所」だ。弟の心底からよみがえったような「便所」という苦痛の叫びは衝撃的であった。
驚いて駆けつけた3人の看護師に、私は、トイレでの排尿を切にお願いした。主任格の女性看護師が強い口調で言った。
「ご本人がいくら嫌でも、紙おむつにしてもらわないと困ります。拘束を解いた時のリスクは大きいですよ。それに、夜間は看護師が手薄になり、今のように複数で対応はできなくなります」
「こんなに狂ったように叫んでいるのは、普通ではありません。私は、どうしてもトイレに連れて行きたいのです。私一人でもトイレに連れて行きます」
私は、弟の尊厳のためにも決して折れたくはなかった。この叫びを受け入れないのは、生理的欲求を認めない人権侵害に思えた。
「そこまで言うなら、わかりました。主治医の判断を聞いてきます」と、主任格の看護師は、かなりあきれた感じで退室した。
結局、身体拘束解除のリスクについての責任は持てないが、主治医の許可が下りた。
早速、拘束バンドや体に装着された一切の物がはずされ、私と看護師で両手を押さえながら素早くトイレに連れて行った。かなりの量を排尿し、弟も落ち着き、本当に良かった。
この排尿後、主治医の指示で、拘束バンド以外の医療器具等が全部はずされた。今後のトイレ
騒動からしばらくして、主治医が病室に巡回で来た。私は、トイレで排尿させてもらったことについて礼を述べた。主治医は、「ご本人の欲求に従って、できる選択肢があるのであれば、考えてあげたいと思っています。今回は、トイレで排尿させることでよかったと思います」。主治医の言葉は、看護的管理よりも患者本意の視点でうれしく感じた。
弟は、身体拘束の苦痛に加え、紙おむつへの排尿を強いられる苦痛を二重に感じながら必死に耐えていた。そして、紙おむつにせざるを得ないギリギリのところで、あの狂ったような「便所」という叫びになったといえる。
弟の叫びを聞いて初めて弟の心に寄り添う兄になれた。私や看護師には、弟に対して、紙おむつでの排尿に対する
自分の状況を客観的に理解できない、欲求を表出しにくい、そして目が見えない状態に置かれた重度知的障害者に対して、家族をはじめ医療従事者が、まずは生理的欲求等の人権を尊重し、その障害者に寄り添った可能な対応を考えてやることの大切さを、この「便所」の叫びは、諭してくれた。
この「便所」の叫びは、私をはじめ、家族、医療、福祉、教育等のすべての分野で支援にかかわる者への警鐘として考えていきたい。