生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第1回エッセー部門

第1回入賞作品 − 中高生の部 
最優秀賞

「ベッドで散歩」

下萩 南耀(14)東京都

 いま、私は医者になろうとしている。昔から父に医者になったら?と言われていたが、絶対にありえないだろうと思っていた。なのに、私はいま考えてもみなかった医者になろうとしている。

 3か月前、救急車で病院に運ばれた。事故にあってから病院で目覚めるまで、私は何も覚えていなかった。ここがどこなのかさえ分からず、不安だった。そんななか、朦朧もうろうとしている私に

 「みなかちゃん、分かる?」

 と先生が呼びかけてくれた。その優しい微笑ほほえみにほっとした。

 私は、足と腰を骨折して入院初めの2か月間ずっと寝たきりでベッドの上だけの生活をしていた。ベッドは30度までしか上げてはいけなかった。その生活に慣れていくうちにリモコンを見なくてもこれは何度だ、と分かるようになった。例えば本を読むときは10度、ご飯を食べるときは22度と最適な角度も決められるようになった。

 本当に、げっそりした長い病院生活。友達からも、

 「つまんないでしょ。」

とよく言われた。実際できることも限られ、学校でみんな何をやっているのだろう、と苛立いらだちも感じた。ゴロゴロして天井ばかり眺めているしかない不自由さに嫌気がさし、とてもつらかった。

 だがいつのまにか、この生活の中でも楽しみを見つけられるようになっていた。それは病院で感じるたくさんの人の優しさがあったからだ。

 先生は毎朝7時頃こっそり様子を見にきてくださった。私が読んでいる本を見ておもしろいよね、とたくさんおしゃべりしてくださり、怪我だけでなく心の支えにもなっていた。学校の夏休みの宿題で職業新聞を書きたいとお願いしたら、先生はわざわざインタビューのために時間をとってくださった。忙しくて回診に来られなかった先生は、夜遅くにも顔をのぞかせに来てくれた。外来の患者さんも診察していると聞いたので、いったいいつ睡眠をとっているのか疑問に思うほどだった。

 窓の外はもう夏だった。ガラス越しに聞こえるせみの鳴き声も汗をだらだら流しながら面会にくるお母さんも、私とは程遠い世界だった。去年の今頃は水泳部員として元気いっぱい真っ黒になり水しぶきを上げながら泳いでいたのに、今年は冷たいプールの水にも入れず顔さえ洗えなかった。夏休みにああしようこうしようと練っていた計画も全てボツになってしまった。周りの友達をとても羨ましく感じながら、寂しくクーラーがんがんの部屋で過ごしていた。

 しかし、そんなある日いきなり先生がやってきて

 「久しぶりに外へ散歩にいこうよ。」

 と声をかけてきた。散歩?どうやって?ベッドで起き上がることもできないのに?と、私の頭にはクエスチョンマークばかりが渦巻いていた。だが、そんなこと関係なしに先生はガラガラと私のベッドを外へ押していった。とても、驚いた。ベッドで外へ出るという有り得なさに仰天した。ベッドを押してくれながらも、先生は仕事の大変さや面白い裏話をこっそり教えてくれた。

 久しぶりの外。1か月ぶりの外。先生は分かっていてくれたのだ。外に出られない喪失感と夏の暑さを感じられない悲しさを、気づいてくれていた。うれしさがあふれでてきた。外は、とても暑かった。室内のクーラーの中でずっと過ごしていた私は滝のような汗を流していた。蝉もうるさかった。しかし、ずっと憧れていた外は本当に気持ち良くて心が解き放たれた気持ちになった。

 たくさんの新しい患者さんも入院してきて、夜勤もあり、寝不足が続く忙しい先生。職業インタビューで質問したとき、一番辛いのは「寝不足」だと言っていた。私のために割いてくれる時間を睡眠に使わせてあげたいと思った。

 患者の気持ちを分かってくれ、親身になってくれた先生に、心から「ありがとう」と言いたい。病気や怪我を治すだけでなく、患者の気持ちに寄り添い、患者を笑顔にする。私は、そんな先生のような医者になりたい。

 患者のことを誰よりも考えてくれるお医者さん、テレビドラマの話などを楽しくしてくれる看護師さん、元気?とよく話しかけてくれる掃除のおばさん。病院に入院して初めて、病院は本当に優しさに溢れた人たちで成り立っているのだと実感した。この入院生活がなかったら、私は病院の素晴らしさに気づかなかっただろう。だからこそ、この二度とない自分だけの体験を活かし、私は患者さんに喜んでもらえるような、そんな笑顔を分けてあげられる医者になりたいと思う。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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