生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第1回エッセー部門

第1回入賞作品 − 一般の部 
入選

「みいちゃんへ」

坂口 有美子(30)東京都

 みいちゃん、あのね、みいちゃんは産まれた時、すぐに小さい手足をバタバタさせて、ママにすがりついてきましたよ。産着を着せるために、看護師さんがママから離したら、とたんに大声で泣きました。信じられないほど小さくて、フニャフニャしていた、みいちゃん。「世界で一番かわいい」と、心から思いましたよ。

 みいちゃん、ごめんね。ちゃんと健康に産んであげられなくて。心臓に重い病気を抱えていて、産まれてすぐ、どんどん体重が減っていった時、ママは夜も眠れませんでした。「つわりで、ろくに食事を取らなかったせい?」「お姉ちゃんの遊びにつきあって、大きいおなかで走り回ったせい?」。夜中に何度も目を覚ましては、みいちゃんの寝顔を見て、そんなことを考えました。

 かわいそうなみいちゃん。産まれてずっと、入退院の繰り返し。同じくらいの月齢の子が、日様を浴びてお散歩をしているのに、みいちゃんは呼吸をするだけで精一杯。「赤ちゃんは何も言わないけど、とてもつらい」と先生から言われた時は、胸が刺されるようでした。

 少しでも体調を崩すと、即入院。小さな体にたくさんのコード。ママは、病院から家に帰るのが嫌でした。みいちゃんは、「どうしておいていくの?」「さびしいよ」という顔をして、目に一杯涙をためて、ベッドからじっと見上げていました。まだしゃべることもできないけれど、大きな目で「ママ、帰らないで」と、ハッキリ言っていましたね。

 みいちゃん、みいちゃんの病気が分かった時、おばあちゃんはすぐに「家事は私がやるから、あんたはできるだけ、みいちゃんの側にいてやりなさい」と言ってくれました。それからおばあちゃんは毎日、仕事を早く切り上げて、病院通いで帰りの遅いママに代わって、御飯を作ってくれたんですよ。おじいちゃんは、2か月も仕事を休んで、みいちゃんのお世話を手伝ってくれました。パパも、夜、なかなか眠れないみいちゃんを抱いて、何時間もゆすって寝かしつけてくれました。

 このことを、みいちゃん、大きくなっても忘れないでね。毎日が、薄氷を踏むような心地だったけれど、家族みんなが、あらん限りの愛情をみいちゃんに注いで、一日一日を乗り切っていったのです。

 そして、みいちゃん。みいちゃん自身も、少しずつ、でも確実に成長しました。

 最初の手術を受ける時、ママは初めて、心から神様に手を合わせました。みいちゃんはまだ6か月。6か月で、まだ新生児の服を着ている小さなみいちゃんに、もしものことがあったらどうしよう。10時間、ろくに座っていることすらできませんでした。

 でも、みいちゃん。みいちゃんは、ちゃんと戻ってきましたね。自力呼吸ができず、人工呼吸器をつけていたので、だっこすることもできなかったけれど、小さなほっぺたが確かに温かかったことを、ママは決して忘れません。

 そして、退院する前の日、みいちゃんは初めて声を立てて笑いました。

 「聞こえましたか? 今、笑いましたよ」

思わずママが叫ぶと、近くにいた看護師さんたちが集まって、みいちゃんの頭をなでてほめて下さいました。「おめでとうございます」と、自分のことのように涙ぐんで下さる方もいましたよ。

 みいちゃん、みいちゃんは産まれながらに重い心臓病を負い、それはとても不運ではあったけれど、決して不幸ではありません。ママはみいちゃんを幸せ者と思います。

 パパやおばあちゃん、おじいちゃん、ひいおばあちゃんも、みいちゃんをかけがえのない希望として、心底からかわいがってくれるのです。また、病院の先生、看護師さん、多くの人がみいちゃんの生を支え、みいちゃんの一生が幸福であるように、手を尽し、念じて下さるのです。そしてこの愛情は、みいちゃんの中で、大きな力となってくれるはずです。

 みいちゃん、みいちゃんが産まれて、今、7か月。1歳になるこの冬、2度目の大きな手術をします。でもママは、1度目の手術の時のような、不安な思いは、もうありません。

 ひいおばあちゃんが、毎日仏壇に向かって、ご先祖様にお祈りをしているし、先生方や看護師さんも、万全の態勢をとって下さいます。そしてみいちゃんには、手術に耐える力があります。

 手術室に入って、また出てくるまで、ママはとなりの待ち合い室で待っています。ずっとそばにいるから、みいちゃん、無事に戻っておいで。人工呼吸器がとれたら、ぎゅっと抱きしめて、もう絶対に離さないからね。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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