審査員特別賞
「がらんどうの生」
馬場 広大(24)鹿児島県
高校生のころ、神様に祈る
思えば、大学の4年間、薬を飲んでいたのも、何かにすがることにほかならないだろう。
高校卒業後、田舎から都会の大学へ進んですぐに、症状はあらわれた。道ですれちがう人に殺されるのではないか。そんな考えが頭をよぎるようになった。やっとの思いで大学にたどり着いても、学生が、教室が怖く、授業に出られない。一人暮らしを始めたばかりで、相談できる相手はいなかった。
心療内科へ行った。しばらくして、社交不安障害という病名を告げられた。私はそこに通い始めた。薬を服用するようになった。毎日、何錠か飲んでいると、頭がぼんやりして、余計なことを考えずに済んだ。
しかし薬に頼ってしまってはいけなかった。私には、まず治そうという気持ちが足りなかったのである。薬を処方されることで、自分の弱さを認めてもらえる気がして、甘えた。薬を飲んでさえいれば大丈夫だと思いこみ、力を振りしぼる方法を、忘れた。相変わらず、授業には出られない。単位も落としてばかりだ。留年が決まった。心療内科へ通うペースが上がった。薬の量はどんどん増えていく。気づいたら就職活動の時期を迎えていた。私は、そのとき、心も体も限界まで鈍らせていた。
飲みそびれた薬が空き箱にためてあった。あの夜、それに手を伸ばさなければ、泣きながら30錠まとめて飲まなければ、心療内科の先生に叱られることもなかったのだろう。踏みとどまった経験が、その後の私を立ち直らせたかもしれない。私は、越えた。1か月後には荷物をまとめて実家へ帰った。
つらさも悔しさも失っていた。あらゆる感情は、死に近づくと、消えてしまうのである。
あの夜、薬を30錠飲む前は、かろうじて心が生きていた。うれしいことがあると、心がうれしさで純粋に動いた。悲しいことがあると、ひたすら悲しみに暮れた。そこに混じり気はない。しかし、今はどうだ。うれしいことや悲しいことに直面しても、「一度死んだ私でも心が揺れ動くものなのか」と、わきおこる感情をどこか他人事でとらえてしまうようになった。ただ揺れ動くことがなくなったのである。どうやら私はうれしいらしい。悲しみと呼べるものを味わっているようだ。そんなふうに、深く感じ入ることのない心とともに、今も毎日過ごしている。
私は普通に生きている自分が恐ろしいのだろう。4年間、不安にさらされるのが当たり前だったから、心が落ち着いていると、それもまた不安なのだ。死が頭に浮かぶ。そこから目をそむけられないでいる。
昨年の末、地元で新しい心療内科を見つけ、今も通っている。薬も服用している。あの4年間よりずっとおだやかな気分で過ごせているが、それでもときどき、感じる。私は死んだようなものなのだ、と。夜の暗い川に反射する光を見て、そこへ飛びこみたくなる。しかし、一度死んだものと思っているから、飛びこんだところで、同じことの繰り返し。それで悲しむような心も、捨ててしまったのである。
私のような人間に、成長はあるだろうか。この先も、がらんどうで生きていくのだろうか。悩みが、私に死を感じさせる。
そんなある日、心療内科の先生が、言った。「君は今、混乱している。どうしたらいいかわからないんだ。でもね、生きるんだよ。死ではない、生きるほうに、目を向けるんだ」
先生は、強く言った。「君は、生きる」
あの言葉を聞いてから、少しだけだが、身の回りが輝いて見えるようになった。私が求めていたのは、理由のない生と、その肯定だったのである。
生きるということには、意味を求めがちだ。なぜ生きるのか考えるのが、人間らしさとも言えるだろう。しかし私のように、生を放棄しかけた者は、まず意味もなく生きることから始めるべきなのである。感情がどうしたとか、死が近いなどといった心のありようから解き放たれ、ただ生きる。これを地道に続け、少しずつでも時間をやりすごすことが、生への執着を生むのだ。
あの夜から1年半が