読売新聞社賞
「大きなお地蔵さんのような病院」
小川 かをり(58)東京都
小川さんは赤ちゃんいないからと、「はい次の赤ちゃんをお風呂に連れて行きますよ」
赤ちゃんのお風呂係のスタッフがカーテンを一部屋ずつ
「赤ちゃんいないんじゃないもん。ちゃんとNICUにいるんだもん」
私は言い返したかった。でも、500グラムで生まれてしまった我が子は半分まだあの世にいるような心細さだったから、言い返せもしなかった。
「なんだかこの世のものじゃないようで恐ろしくて見に行けないわ」と、おばあちゃん。
「あらあ、かわいそうねえ、あの子、あんなにちっちゃいじゃない」
まるまると太った赤ちゃんを抱いて退院していく一家がわざわざ覗いていく。保育器に張り付いている私たち未熟児の母親たちは、背中越しに視線を感じて固まっている。
きっとみんな悪気があったわけじゃない。たった24週で早産してしまった母親失格の私に何も言い返す言葉はなかった。もくもくと、ただ黙々と毎日おっぱいを
そんな中、担当の看護師さんは毎日、日記をつけて赤ちゃんの様子を楽しそうに語ってくれた。体重がなかなか増えないときは一緒に苦しんでくれた。私がどうしようもなく辛くなっていると、担当の看護師さんは、私の背中をたたいてあやすように語りかけた。
「この保育器はね、お母さんのおなかの中と一緒。今この赤ちゃんはおなかの中にいるみたいにゆったり過ごしているのよ。大丈夫、大きくなって親孝行してくれる子になるよ。楽しみね。ほらなんて
これが初めてだった。この子を褒めてもらったのはこれが初めてだった。
例えば吹雪の中で民家の明かりを見たような、凍えた時の一枚のマフラーのような、そんな温かさを肩にかけてもらった事、私は決して忘れない。
どの母親も自分の子をほめてもらいたい。時には他人の子の価値を低めてでも自分の子の価値をを高く見たい。でもどうにもほめようのない状況の時って何度かはある。未熟児で産んでしまった母親は子育ての道のりのスタート地点でそういう状況に直面するのだ。子どもを抱えて座り込んでしまう母親が病院にはたくさんいる。
その母親たちを集めて茶話会を開いてくださった医師がいた。同じ不安を抱える母親たちの会で私はどんなに力をもらったことだろう。子どもの誕生日には自腹で誕生ケーキを買ってきて、一粒だけ小さな口にくわえさせてくださった担当医もいた。朝面会に行くとベッドが空で、担当の先生が懐に入れて抱っこしてくれていた朝もあった。
私はこの病院に助けられたと今でもその病院の横を通るとちょっと手を合わせている。お地蔵さんじゃあるまいし、と主人は笑うが私にはこの病院が大きなお地蔵様に見えた。
今、その息子は元気に大学生になって、一人暮らしをしている。心配でたまらないが、山岳部に入って人生を
「生まれてこられて助けてもらって育ててもらって本当に良かった。良い人生だった」とこの子は必ず一生を終える時に言うと思う。医療がなかったならば、この子の人生も私の人生も無かったのです。