生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第8回エッセー部門

第8回入賞作品 − 小学生高学年の部(4~6年生) 
優秀賞

かけがえのない命を実感した日

小林 紬(11)埼玉県

 昨年の10月に私の親戚のおじが肺がんで亡くなり、3日後に火葬場へ行きました。私はおじに1回しか会ったことがなかったので顔はよく思い出せませんでしたが、棺桶(かんおけ)に入ったおじの顔を見るなり、絶句してしまいました。亡くなっているはずの死に化粧をしたおじの顔はやけに生々しく感じられ、今にも目をかっと見開きむくりと起き上がってくるような気がしてならなかったです。しかし、もうこの顔を見られなくなると思うと未練を感じたので、しっかりと脳裏に焼きつけました。その後、棺桶が火葬炉の中に入った時は心臓がドクンドクンと大きく波打っていました。「やめて、まだ燃やさないで!」と叫びたい思いをぐっとこらえていました。

 火葬中に昼食をとりましたが、火葬後のおじの姿を想像するととても食べる気になれませんでした。

 食後に拾骨室へ行きました。私の視界に映ったおじの姿は、予想以上にひどいものでした。がんによってもろくなってしまったおじの骨はほとんど焼けてしまい、わずかな骨しか残りませんでした。私は、必ずしも全ての骨が残るわけではないという現実を目の当たりにして深い悲しみを味わいました。

 その後、父と二人で骨上げをしました。間接的とはいえわずかな骨に触れるため、冷や汗をかきながら骨を骨つぼに入れました。骨を割らずに全て入れられた瞬間、肩の力がぬけていくようでした。しかし、後で火葬場の職員の方が残りの骨を全て入れ切るために棒で押し込まれた時に、ゴリゴリと不気味な音がしたため再び肩に力が入るだけでなく、目も(つむ)ってしまいました。仕方のないことだとは分かっていても、せっかく形として残った骨を砕いてしまうことに身勝手ではないかと思ってしまいました。

 無事火葬は終わりましたが、私の心の中は火葬前のおじの顔の生々しさや、おじが火葬炉の中に入れられた瞬間の激しい胸の鼓動に火葬後の骨上げをした緊張感が堂々めぐりをしていました。私は普段関わらないおじのような人でさえその命が失われると平然としていられなくなってしまうので、両親などの近しい人達が亡くなった時、悲しいだけではすまないと思います。ですから、そんな時が来るまでは人を大切にして命の尊さを感じ、悔やむことのないようにしていきたいと思いました。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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