生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第8回エッセー部門

第8回入賞作品 − 一般の部 
入選

神様は目の前に()

大庭 三慶(85)長崎県

 梅雨も半ばになった平成28年6月下旬、女房の七回忌を4月に済ませて何となく一人ぐらしも板についてきた私は、いつも通りテレビの野球中継を楽しみに夕食の準備を午後6時には済ませた。

 野球が始まって晩酌の酒を一杯口につけたその時、いきなり壁が崩れ落ちて鋭い衝撃を受け、その下敷きとなり椅子に座ったまま身動きができなくなった。

(地震だ!)

と思い余震を心配してじっとしていたが、水害による崖崩れだったらしく、下敷きとなった私の体はぴくりとも動かなかった。辛うじて動く右手の先を左に右にと床の上で動かすだけだった。

(これは大変だ、このままだと死ぬぞ!)

と、もがいていた時救急隊の人が

「誰かいませんか! 誰方(どなた)かいませんか!!

と声を掛けて助けに来てくれた。

「おーい! 助けてくれ! ここだ、ここだ、ここにいるよ。」

と声を返したが聞こえないのか返答がない。「おーい!」「おーい!」と続けて声を掛けたが、誰もいないみたいだと言って救急隊の人がその場を去っていく気配だ。上からの声は聞こえるのに、何故私の声が上に届かないのかと動く右手の先をもどかしく動かしながら、誰とも会話ができない、動くことすらできないこんな無様な格好で私の人生が終わるのかと、絶望の気持ちに沈みかけたその時再び声が聞こえた。

 近くにいた人が「ちょっと待って! 倒れた家の下に御主人がいる(はず)です!」

と言って救急隊が帰るのを止めたらしい。

「おーい!」という呼び声に返事をするが何故か自分の声がやっぱり届かない。

「誰もいないようだね。」

と声がして再び引き返そうとする気配に、これは大変だとかすれた声を出すが、声が届かない。

「おい、待てよ......何か動いたぞ、手だ。人の手だ、手が動いているぞ。」

「おーい、大丈夫ですか! 今助けますよ!」

 やっと見つけられた瞬間だった。神様が救急隊員となって現われたと思った。

 これで助かると思ったが簡単ではなかった。

(しばら)くの辛抱ですよ。今から柱を切ります。」

 頭の上でチェーンソーの音がしてガリガリと木を切る音、パラパラと土砂が木屑(きくず)が頭の上に容赦なく降りかかってきた。少しずつ瓦礫(がれき)が取り除かれていったが、腰の骨が折れたのか痛みが増してきて、どうにも耐えられない激痛となった。

「助けてくれ! 腰が痛い! 死にそうだ!」

「もう少しです、頑張って下さい。」

「痛い、痛い、腰が痛い、助けてくれ!」

と悲鳴をあげた。

 そしてようやく頭上の瓦礫が取り除かれ、体を3人がかりで引っ張られたが、右足が何かに挟まって抜けない。

「あと右足だけです。頑張って下さい。今から足を引き抜きますよ。」

 ズキンと右足の甲に激痛が走り足が抜けた。

 もう夕刻で暮れかかっていた。あと30分、いや10分遅かったなら助け出されることはなかっただろう。

 大学病院の検査の結果は、頸椎(けいつい)と腰椎の骨折、右足の複雑骨折だった。たくさんの神経が集まっている首の手術は大変だったと担当医から聞いたが、1週間で3度の手術が終わって、点滴とリハビリが始まった。

 担当の若い女性看護師は一切の介助と手足の軽運動を少しずつ増やしていって手足を動かし、時には厳しい口調で導いてくれた。神様は看護師となって私の前に現われたのだろうか、体を拭くように、食器を持つように、足首を回すように、掌のグーパーを続けるようにとミッションを与えてくれた。遠くからでも、笑顔の視線を送ってくれて大怪我のショックから少しずつ将来への希望が見えてくるのを実感していった。

 心が前向きになると、それ(まで)看護師にあまえて手を借りていたのを止めて、自分一人でやろうと自主トレするようになった。その後のリハビリ病院でも回復が早く、7カ月後に退院した時は、車椅子は使わずに自立生活ができるようになっていた。

 あの時、夕闇が近づく中で神様となって救急隊の人が戻って来なかったら、またICUでの救急治療の後、ベッドの上で何もできない私を女神となって励まし、優しくも厳しいクオリティケアがなかったら今の自分の姿はなかっただろう。

 家の下敷きになるという大惨事に遭ったのに、その後は幸運に恵まれて今の自分があることに一種の不思議さと運命を感じることがある。

 今は、私が秘かに知り得た神様に感謝しながら、リハビリを続けています。

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

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