優秀賞
ピンク色のキリン
髙梨 慈子(15)東京都
「もう、歩くの遅いねぇ、早く塗り絵しようよ。」
祖父は私の記憶の中ではいつでも歩くのが遅かったがとても優しかった。私や妹が遅い遅いと文句を垂れるといつでも、「僕は年寄りだからしょうがないんだよ。」と笑っていた。さらに、私が図鑑に載っているキリンの色が無いから塗り絵をしたくないと駄々をこねた時、祖父は、
「図鑑と同じ色を塗るのはなんでだい? ピンク色のキリンがいてもいいじゃないか。」
と優しく話してくれた。そんな祖父と遊ぶ頻度が少なくなり、不思議に思った私は母にわけを尋ねた。祖父はパーキンソン病だった。そのことを話す母は幼い私から見ても辛そうに顔を
小学生の時、初めて祖父が入院した。私はお見舞いにピンク色に塗ったキリンを持って行った。祖父は、
「うん、素敵な塗り絵だね。」
と
中3の終わり頃、祖父の容体が急変。ついに入院した。母が毎日のように病院に通いつめていた。母にとって親の死期が迫っているというのは相当ストレスだったのだろう。大丈夫だから心配しないでと言う母の目は焦点が合っていないように見えた。私はなんとか祖父に会いたかったがコロナのせいでお見舞いに行けず、母から様子を聞く以外できなかった。そして中3の1月12日、私が学校に行っている間に、祖父が息を引き取った。母から聞いた話によると家族全員で延命治療を続けるか話し合ったが、最終的に寝たきりの祖父の「ありがとう。さようなら。」という言葉で延命治療をやめたそうだ。私は無意識に塗り絵の紙を2枚手に取っていた。
それからはずっと上の空だった。なんとなく学校に行き、なんとなく授業を受けて。空をぼんやり見つめて毎日を過ごしていた。数日後の葬式で久しぶりに祖父と顔を合わせた時、祖父は昔病室で会った時と同じように優しく笑っていた。祖父の顔を見て「塗り絵持ってきたよ、一緒にしようよ。」と声が出た。祖父は何も言わず静かに笑っていた。泣くのを堪えながら私はピンク色で塗ったキリンの塗り絵を祖父の手の上に置いた。
私と祖父しか知らないこのピンク色のキリンはきっと、歩くのが遅い。