生命を見つめるフォト&エッセー

受賞作品

第8回エッセー部門

第8回入賞作品 − 一般の部 
入選

思いのリレー

土井 京子(49)愛媛県

「僕は母の仕事が看護師で嫌だなと思ったことが何度もありました。」

 ちょうど1年前、生命を見つめるフォト&エッセーに出品された息子の作品にはこう記されていた。

 息子の書いたこの文を見て、一番最初に私の頭に浮かんだことはショックだとか悲しいとかではなく「そうだろうな」だった。記憶を辿(たど)れば思い当たることだらけで、中でもその引き金になったのはコロナだったと思う。

 世界中が得体の知れない未知のウイルスに(おび)え始めた5年前、その時息子は小学6年生でちょうど思春期に入る年頃。ただでさえ不安定になる時期に中学受験も控えていた。急な身体の成長に気持ちがついていかず、そこに受験のプレッシャーが加わり、追い打ちをかけるようにコロナが蔓延(まんえん)し始めた。

 息子は「心室中隔欠損症」という先天性の心疾患を持っていて、主治医からは、

「コロナに感染すると重症化する可能性が高い。」

と言われていた。毎日毎日ニュースで

「○人感染した、○人亡くなった。」

と報道され、その数は爆発的に増えていく。息子のコロナへの恐怖心は日に日に増していった。

 学校が休校となり、やりきれない思いを抱えながら自宅に籠ることを余儀なくされた息子に私は寄り添ってやることができなかった。私は私で闘い方も分からないままコロナ治療という戦場へ放り出されたからだ。

 サウナスーツのような防護服、口元をぴったり覆う特別な医療用マスク、ヘアキャップにフェイスシールド、ゴム手袋は二重に装着。数分で汗が滴り落ち背中を伝う。同僚が熱中症で倒れたこともあった。脱ぎ着に時間がかかるため簡単には休憩も取れずトイレすらギリギリまで我慢する日々。

 発熱で朦朧(もうろう)とする患者さんは転倒が相次ぎ処置は増える一方だった。もちろん面会は禁止、病室から出ることも禁止。いきなり外部との接触を遮断された患者さん達の行き場のないストレスは一番身近な看護師に投げつけられ何度も心無い言葉をあびせられた。それでも気持ちが折れなかったのは共に励まし合える仲間がいたからだ。しかし、家族が感染してしまった同僚は濃厚接触者となり、勤務できる看護師は一人また一人と減っていった。それでもやるしかなかった。

 この頃には家はぐちゃぐちゃだった。家に帰ってお風呂に入り、仕事の帰りにスーパーで買ったお弁当をかき込み、目を閉じると朝になっている......そんな毎日だった。家事も疎かになり、息子と触れ合う時間は極端に減った。冒頭の「母の仕事が看護師で嫌だと思ったことが何度もあった」はおそらくこの時のことだろう。

 しかし当時の息子は一言もそんなことは言わなかった。いっぱいいっぱいになっている私を気遣ってくれていたといえば聞こえはいいが、

「あなたのために働いているのよ。」

という恩着せがましい空気が私から見え隠れしていたのだと思う。それを言われると子どもは反論できないということは誰が見ても聞いても明白で、私は卑怯(ひきょう)だった。

「あなたは私の命より大切な宝物よ。」

と事あるごとに伝えてきた。そんな宝物にこんな思いまでさせて働く意味はあったのだろうか。母として看護師としてどうするべきだったのか答えを見出せないままでいた私の背中を押したのはその息子だった。

 テーブルの上にポンと置かれた進路希望調査のプリント。その第1志望に「○○大学医学部」と書かれてあった。戸惑う私に、

「母さんみたいに生命に向き合うのも悪くないと思って。もし俺が医者になったら一緒にやろうや。」

とサラッと言う息子。

「おいおい......医者への道は険しいよー。」

と軽く返したが本当は涙腺崩壊寸前だった。

 息子のエッセーは看護師を親に持つ子ども達へのメッセージで締めくくられていた。

「キミ達のお母さんはすばらしい仕事をしている。すごい人なんだよ。」

 生命は続く。生命への思いも続く。生命の重さ、尊さを、それに向き合う覚悟を、私達医療従事者は絶対に忘れてはならない。そんな看護師としての母の思いを知ってか知らずか、いとも簡単に私の中のモヤモヤを取り払った息子。

 ありがとう。

 今度は私の番だ。息子の好物を詰めたお弁当の包みをキュッと結び、今日も夢に向かって自転車をこぎだす息子の背中をポンと押す。

「いってらっしゃい!」

(敬称略・年齢、学年などは応募締め切り時点)
(注)入賞作品を無断で使用したり、転用したり、個人、家庭での読書以外の目的で複写することは法律で禁じられています。

過去の作品

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