文部科学大臣賞
「自宅で看取る」
池田 帆那(12)長崎県
私が小学4年生の3月、97歳のふみばあ(ひいおばあちゃん)が亡くなりました。自宅のベッドの上で、家族に見守られて天国へ旅立ちました。
ふみばあは、優しくてビールが大好きです。ビールをくいーっと飲んで刺身を流し込みます。また、酒まんじゅうも大好きで、お誕生日には酒まんじゅうを積み重ねてまんじゅうタワーにすると喜んでいました。そして何よりふみばあが大好きな物、それは家でした。だから、いつもふみばあは、「家で死にたい。」と言っていました。そのふみばあの言葉から、かかりつけの先生が在宅医療をされていた事もあり、私達家族は「自宅で看取る」という事を考えていくようになりました。先生は、「何かあったら夜中でもいつでも連絡してね。」と言ってくれました。
92歳頃から1人で入浴出来なくなってきたので、祖母が体を洗って、母が体をふいてオムツを履かせ、パジャマに着替える手伝いをするようになりました。そして、段々と歩けなくなってきてトイレも1人では行けなくなったので、ベッドの横にポータブルトイレを置くようになりました。したくなったら呼び出しチャイムを押して祖母に来てもらうのですが、祖母が食事を作っていようが、夜中だろうがふみばあのお腹は関係ありません。「ピンポーン」と鳴ると祖母はふみばあの所へ急いで行っていました。
寝たきりになってからは、オムツを替えるのを祖母と母の2人がかりでしていました。そんな時、いつも「世話かけてごめんね。」や「ありがとうね。」と言っていたそうです。母の姿を見ると、「はんちゃんは大丈夫ね。」と私の事を気に掛けてくれていたそうです。人にお世話をされるのをすごく申し訳なく思っていて、頭もしっかりしていたので気になっていたんだと思います。家族とはいえ、オムツを替えるのは簡単な事ではありません。しかし祖母や母、私達家族は嫌々ながらお世話をしていたわけではありません。母も子どもの頃、ふみばあにお世話をしてもらった恩返しだと言っていました。
ふみばあは、ちょっとわがままで、大好きな家から外に出たくないのでデイサービスには行きませんでした。そこで訪問看護・介護を受けることになりました。毎日、日替わりで看護師や介護士さん達が来て、体の調子を診たりリハビリをしてくれました。みなさんから優しくしてもらい、「ふみさん」と呼ばれて人気者でした。
お風呂も訪問入浴サービスを利用しました。週2回、介護士さん3人と看護師さん1人が来て、専用の浴槽をつかって入浴をサポートしてくれます。入浴前に血圧や体温・脈拍などをチェックし、安全に入れるかを判断します。浴槽につかるとふみばあは、とても気持ち良さそうで終わった後はすぐにお昼寝をしていました。
段々と寝ている事が多くなってきて、呼び掛けて起こすという日々になってきました。最期の日も、そんないつもの春休みの1日でした。ふみばあは、数日前から
誰でも、住み慣れた自宅で、家族の元で一生を終えたいという理想があると思います。しかし、それを選べる人は少ないでしょう。そして、それを選択するということは、本人が段々と弱っていく姿を見ていかなければならないということです。家族はそれを受け入れる準備と覚悟が必要になります。私達も覚悟をしていたつもりでしたが、最期は落ち着いたお別れにはなりませんでした。それでも、ふみばあが大好きなお家で最期を迎えられて良かったし、先生や看護・介護をしてくださった方達の支えのおかげだと思います。
もうすぐお盆です。ふみばあが、大好きなお家に帰って来ます。