みえるってすてき
ごつん。あたまをさわるとたんこぶができていた。いつものことだ。めになみだがうかんだけれど、グッとこらえた。
そんなまいにちに、じけんがおきた。ママはわたしの手をギュッとにぎって、いったことのないたてものにはいっていった。めのびょういんであることはわかったが、なぜわたしが、ここにこなければいけないのか、まったくわからなかった。
しりょくけんさだ。けんさはめがねのかたちをしていて、みぎめ、ひだりめにくろいいたをいれて、かためのしりょくをはかるらしい。みぎのめに、くろいいたがいれられたしゅんかん、ブルッと、からだがふるえた。
ひだりめにいたをいれた。こんかいは、こわくなかった。みぎめをもういちどかくした。しぜんとひざがガクガクして、あせがポタリとおちた。「こわい」。おもわず、さけんだ。けんさがおわり、へなへなといすにすわった。こわくて、まだガタガタとふるえていた。
せんせいとママがむずかしいはなしをしているが、わからなかった。ふとうえをむくと、かなしそうなママのかおがめにはいった。「がんばろうね」と、ママがいった。「きがつかなくて、ごめんなさい」と、あたまをふかくさげてきた。
せんせいは、わかりやすくせつめいしてくれた。わたしのひだりめは、じゃくしだ。そのうえ、きょうどのえんしだというのだ。ひだりめはうごいていない。つまり、みえていないのだ。
びっくりした。おもわず、「みえているよ」とさけんだ。ママがうしろからだきしめてくれた。「だって、みえてるもん」。もういちど、はっきりとつたえた。
よるは、いつもどおりねて、あさおきたら、いつもとちがうことがあった。ママがニコニコちかづいてくる。わたしは、おもわず、あとずさりをした。ママが、えいっと、わたしのみぎめになにかをはりつけた。まっくらやみにおおわれた。こわい。わたしはなきさけんだ。ママはやさしくいった。ひだりめにうごいてもらうために、みえているみぎめをかくして、せいかつしなければいけないと。
もっといやなことがおこった。めがねだ。わたしはぜつぼうてきなきぶんで、パパにたすけをもとめた。パパがそっーと、わたしをだきあげてくれた。いつもは、わらってはなしをきいてくれるパパだけれど、しずかにくびをふって、わたしのめがねをかけなおした。わたしにあまいパパですら、たすけてくれない。わたしはこえがかれるまで、なきさけんでいた。
1ねんせいになって、きょうはけんさけっかがでるひだ。あのひから、きょうふにおびえながらがんばった。せんせいが、もうじゃくしではないよっと、たいこばんをおしてくれた。
めがねは、まだえんしがなおっていないから、つけなければいけない。いまではあいぼうだ。みえるようになっておもう。みえるってすてきなことだよ。
心の動きを具体的に
突然の目の検査と治療に本人もママも不安と恐怖でいっぱい……。が、こうした感情や心の動きは目に見えないので「具体的な動きで表す」のが作文の基本。小学1年生がそれをみごとに実践していることに驚きました。どこがそれにあたるかチェックすると、みなさんが書くときのヒントになるでしょう。(石崎洋司)