自閉症を持つ私から見た日常
私は重度自閉症である。いつも叫び出したい衝動を感じている。でも叫ばない。叫んではいけないと学んだからだ。この作文で私から見える世界を、みんなに共有したい。
小学校は支援級に在籍していたが、現在は中高一貫で少人数制の私立中学に通っている。4歳の時に注意欠陥多動優勢の自閉症スペクトラムと診断を受けた。小学6年生の時に身長が止まり、成長ホルモンを毎日注射している。身長は146センチで、15歳男子平均より20センチ以上低い。
家族とファミリーレストランに行くと、店員が「子供椅子はいりますか」と笑顔で聞く。耐える私に、今度はキッズメニューを差し出してくる。見た目で判断しないでください。そう伝えたいけれど、見た目で子供なのだから、店員を責められない。やりどころの無い怒りを抱えて私は黙る。
私は授業中によそ見をしてしまう。宿題のお知らせを聞き逃し、やってこない。不真面目で意欲を持っていないと評価される。悲しい出来事で、何度も泣いた。
真面目に授業を受ける気持ちで座っているが、教室はその気持ちを阻む様々な情報であふれている。クラスメイトの動きやきぬ擦れの音がとても不快な音でジャリジャリと聞こえる。ノートの上を動くシャープペンシルの音は不協和音で合奏している。エアコンの音がごおごおと鳴り、隣の教室からも似た物音が聞こえてくる。等々きりが無い。
私はいつも叫び出してしまいそうで、疲れ果てている。先生の声は、200メートル先の、遠くのトンネルの向こうから聞こえる感じで、なかなか拾えない。
自閉症なのによく喋(しゃべ)ることが出来るね、と言われる事がある。私は人と関わるのが大好きであるし、お喋りも好んでする。だがコミュニケーションがしっかりとれているわけではないようだ。私を母はたまにラジオと呼ぶ。一方的に喋って満足してしまうからだ。
人の気持ちを読み取るアンテナが通常なら5本立っているならば、私は1本しか立っていないからだ。私は自分の気持ちも分からない。心を自分に感じない。だけど、相手を泣かせた時は、私の目から涙が出てくる。悲しい気持ちだと教わるけれど、なかなかつかむことが出来ないでいる。
自閉症の子供が産まれて、悲しむ家族もいるだろう。でも私達(たち)は学ぶし、成長する。人の気持ちが分かりにくいけれど、人が嫌いではない。小学校では床で寝転んでいたが、今は椅子に座り、必死に勉強している。
私達にはみんなと同じだけの未来があり、期待を持っている。私が間違った時は、あきらめないで教えて欲しい。私もこの困難な世界に向き合い、痛みを知っているぶんだけ、弱さを持っているぶんだけ、他の誰かに優しくなれる大人になりたいと考えている。
想像超えた事実 教える
外見や行動などで誤解されることの多い自閉症。その実際を知ってほしいとペンをとった藤田さんは、我々の想像を超えた事実を次々とつづっていきます。「みんな違って、みんないい」などといいますが、お互いを知り理解しあった上でのこと。そのために作文がとても役立つことも教えてもらいました。(石崎洋司)