面倒なわたし大好きなわたし
わたしは「面倒くさい」人間だ。自分で自分を考えると、矛盾ばかりあるように思える。たくさんの矛盾を抱えている自分は本当に「面倒くさい」。頑張っていることや結果が出たことを力いっぱい褒めてほしい。「凄(すご)いね」って言われたい。承認欲求が強いのだ。
中学年になって、いろいろな場面で困ったことが同時多発的に起きるようになった。友人たちが喧嘩(けんか)をしているとき、仲裁に入ると、矛先がわたしに向くことが多くなった。誰かが言い合いしている時によく観察してみた。すると、周囲で静観している人が結構いることに気がついた。
わたしの学校では、隔週で「リーダー・イン・ミー」という授業がある。リーダーの資質ある人間になるため、自分自身を高めるためにはどうしたらよいかを考える時間だ。興味深い教えをいくつか学んだ。
ひとつが「違いを尊重する」ことだ。公平に判断し、結論に至るまでの過程を大事にする。落ち着いて話し合い、互いに納得する結論を求める。
次の教えは「話すより聴く」だ。友人の言い合いの仲裁に入るとき、わたしはいったいどんなふうだったか。「なになにどうしたの」と「興味」が前面に出ていなかったか。矛先がわたしに向く理由があったのではないか。静観しているように見えた友人たちは、第三者的な立場で双方を冷静に把握していたのではないか。自分が恥ずかしくなった。わたしに圧倒的に足りないのは「冷静さ」かもしれない。
たくさんある片付けるべきものをどうやったら全部やり終わるのか。母に尋ねたら、「必要か不必要かをわける。必要なものに優先順位をつけ、あとは順番にやるしかないよ」と言われた。そうか、わたしは優先順位が付けられないんだ。授業中も習い事も友人との関係も、あらゆることにその時本当に必要なことを選べていないから、いっぱいいっぱいになってしまうんだ。
冷静さも大事。でも、やっぱり「わたしのことをわかってほしい」とアピールすることも大事だと思う。それに、みんなのことをたくさん理解したい。
わたしは「時間がないのに何でも頼まれて大変だ」と思う反面、「損している」とは全く思っていないことに気がついた。誰かの喜ぶ顔が見たい。そのための努力は、苦ではないのだ。だから、そういう時間を持てるようにどんどん自分を磨いていきたい。
そうか、わたしは人間が大好きなんだ。わたしは、たくさんの人に関わりたい。わたしは、あれもこれも諦められない。やっぱり「面倒くさい」人間だ。でも、わたしは、そんなわたしが嫌いじゃない。
(指導・川口涼子教諭)
自分を客観視 論理的につづる
「承認欲求」。この言葉をふつうに使い、しかもその強さに手を焼いていると自戒する小学生がいる。それだけでも驚きなのに、そんな自分を冷静に客観視し、ときにユーモアを交えて論理的につづることができる力に舌を巻きました。肯定的な締めくくりもすばらしい。私もこうありたいと学ばされました。
(石崎洋司)